時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

尾崎豊の卒業は最後まで聞いた方が良い


今思えば尾崎豊を好きになったきっかけはテレビで卒業を聞いたからだった。
それから尾崎豊の曲は全部聞いてみてこれが天才なのかって心の底から思った。
何だか今の若者には尾崎は共感できないらしいな。
今時バイクを盗んだり校舎の窓ガラスを割って回るのが良いと思ってる人なんかいない。
ただ尾崎豊の魅力って単純に歌が上手いって所だと思う。
これほど歌唱力がある歌手は中々いないんじゃないかな。
だから有名になってんだろうけど。
とりあえず校舎の窓ガラスばかり気に取られていてもしょうがない。
卒業は最後まで聞いてこそどんな曲だか分かるんじゃないかな。
あくまで歌詞はフィクションだから正直さそれって言わなくても分かるよねで通ってきたわけ。
それっていちいち説明しなきゃいけないのかな。
最後まで聞けば分かると思うけど卒業しても居場所がない。どこに向かうべきなのかっていうのを信じられぬ大人との闘いで見つけ出そうって歌なんだよね。
それがその学生の時の気持ちで尾崎自身それを表現したかったはずだ。
歌ってる時はもう大人になっていてそういう若い時もあっただろうって事だと思ってる。
あんまり言いすぎると尾崎信者みたいになっちゃうしそれも嫌なんだけどとりあえず窓ガラスは割っちゃいけないだろうっていう馬鹿正直な意見はもう聞く必要もないだろう。
覚せい剤をやったのはどう考えても悪かった。それは許されねえ。
犯罪者だ。だけど曲に罪はないだろう。そう思うこと自体尾崎豊という存在をカリスマとして神聖化してしまっているのかもしれない。

尾崎世代 要するに今のおっさん達からすると学生運動なんかも気持ちが分かるらしい。
昔の日本にはまだ熱というか抑えきれない力があって暴れていた人がいたみたいだ。
自分の理想を実現する為にはそうするしかなかったんだろう。
だけどそれは間違ってるといえる。
力で暴動を起こした所で何も変わりはしない。
卒業でも言っているけど支配から卒業したら自由だけどそこからどこに向かうべきなのか分からない人が大勢いる。
自由には責任がある。
自分の理想を実現するためとはいえ力による主張を繰り返していればただ捕まるだけである。
だから窓ガラスを割ってはいけない。
それは当たり前。 だけどそういう気持ちがあるって事も理解しなければならない。