自分がクローン人間の可能性
誰しも自分とは何者なのか 何のために存在しているのか 考えた事はあると思う。
そもそも自分が自分であると確信出来るものもないし他人が思考しているという確信出来るものもない。
いわゆる哲学的ゾンビというものらしい。
哲学的ゾンビとは
哲学的ゾンビとは普通の人間であるが意識(クオリア)を持ってない人間の事である。
これは自分以外の人間が意識を持っているのか持っていないか分からないという事で認識しているのだが、 哲学っていうのは簡単な事をわざわざ難しい言葉で分かりにくくしているように思えてならない。
我思う故に我ありというぐらいなので自分が自分であるというのは分かるとおもう。
それに比べて他の人は分からないって話だ。
これ自体結論は出ないのでどうしようもないが哲学的ゾンビが存在するとは考えられない。
中にはサイコパス的な一部の例外ではいるかもしれない。
サイコパスといってもほとんどのサイコパスは普通に見えるらしい。
サイコパスの中の一部で哲学的ゾンビがいる可能性は否定できない。
では自分とは何なのだろう
他人が何を考えているのかは分からないが自分の事は自分が良く分かる。
では自分という存在は何なのか。
もし自分と全く同じ遺伝子を持つ人間が現れたらそれは自分と言えるのだろうか。
当たり前の話だがそれは自分ではない。
自分は1人しかいないわけで同じ遺伝子を持っていても2人存在している時点で個の存在ではない。
ありえない話だが全くのコピーされた人の体に今までの記憶を埋め込めばそれは同じ人間といえるのだろうか。
SFではよくある話だ。
今までの自分で無ければ自分ではないとしてしまうと厄介な話になる。
まず昨日の自分と今日の自分は全く別の存在なのだ。
細胞は少しずつ入れ替わっていて何年もすれば以前あった細胞は全て入れ替わる事になる。
そうすると自己の存在の基準が変わらない事というのは自分が自分であることの証明にはなりえないのだ。
自分のクローン人間が現れたとしてそれが自分なのかという事だがクローン人間は赤ちゃんで生まれてくるので年は違う。
また変わらないという事だけで自己の証明にはならないので自分のクローンだからといって自分という事にはならない。
ところで今クローン人間を作るのはやろうと思えば出来るみたいだが倫理的な観点から禁止されている。
クローン人間を作る目的としたら何なのだろう。
大きな目的としたら臓器移植だろう。
遺伝子が同じなのだから拒絶反応も起こる事はない。
ただそれだけはしてはいけない事だ。
もし出来るとしたら自分がいきなりクローン人間と言われて臓器を提供しろと言われても許せる人だけだろう。
もしかしたら誰でもクローン人間の可能性があるのだ。