時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

電車の端っこ


電車の端っこの席。 それは1つの座席に2つしかないという非常に貴重な席であるにも関わらず 多くの人が座りたい 座れたら良いなぁというものである。

時にはそれが原因で醜い争いがある程である。

では何故人々は端っこの席に座りたがるのだろうか。

理由は既に分かってる事であるが、壁に寄りかかれる事 両隣に人がいなくて片方だけ気にすれば良い という事があると思う。


パーソナルスペースというが知らない人が自分のスペースに入ってきたら本能的に嫌だと感じるものみたいだ。

朝の通勤時間帯の始発の電車に乗った事がある人は分かると思うけれどその時の席の取り合い 端っこの取り合いはかなり滑稽なものだ。

自分は初めから座れるはずがないと思ってるので気が楽だが。。


中でも1番気に入らないのは高速スライドしてくる人たちだ。


こっちが座ろうとするとスライドしてきて自分は座れなくなる。

まあ座れなくなるぐらいだったらどうって事ないがあの動きを見ているとイライラしてしまう。

まるで他人の事などどうでも良いかのように見えてしまうのだ。


もしかして自分が座れないからそういう事を思うのかもしれないがとにかく他の人を押しのけてでも座ろうとするその根性が気にくわない。



今 電車に対して人が多すぎるのだ。

自分も出来る事なら満員電車など乗りたくない。

しかし乗る電車が満員電車なのだから仕方ない。

東京の人は冷たいなんていうがみんな疲れてるだけなのだと思う。

自分の事だけで精一杯なのだ。

だからこそ座るべき人に席は譲るべきだし座るべき人はキチンと言葉に出して欲しい。


言葉に出さなければ伝わらない事だと思う。

顔を覚えられたくない



時計が好きな人なら時計屋に行くことも多いと思う。

当然見るのは楽しいのだが問題が1つある。

大体 店員がスタンばってる事である。

店員と楽しく話が出来る人は良いが自分はそんな事はありえない。

全く知らない人と話すのは苦痛でしかないのである。

店の人も仕事だし絶対買わないような若造にも話しかけてくれるのだがそれがどうにも申し訳ない気持ちになる。

あと僕は同じ所に留まってるというのがかなり苦手である。

その理由は店員に顔を覚えられてしまうからだろうと思う。

とにかくもう知ってる人やある程度面識があって仲が良いというのだったら良いのだけれど初対面で いきなり話せない人間なのだ。

よくコミュ障と言われる人たち (僕はその人達は自称してるだけで本当はコミュ障でも何でもないと思ってる) は逆に初対面なら良く話せるという。

自分の事が知られてなくて話しやすいそうだ。

正直言ってそっちの方が良いじゃないかと思った。

今のコミュニケーション至上主義の世の中では初めて会った人とも仲良くしなければならない。

表面上であろうが何だろうがその場を乗り切れればうまくいくことも多いのではないかと思う。

面接というのがそ最たる例だろう。

今僕が何とか人付き合い出来てるのは既に知ってる人としか関わらないからでその既に知ってる状況になるまで何か月はかけてるからであろうと思う。

仕事となると初対面の人と接する機会が格段に増える。

大体皆んな僕に説教してくる事が多い。

それでは社会でやっていけないというのは何度聞いたことだろう。

就職する事も出来ないと言われた事も多い。


説教してくる人が本当に心配してくれているのかそれとも自分は大丈夫って心配したいだけの為に言ってるのかもと かなり捻くれた考えをする事もある。

ただそんな事はどうだってよくて説教してくる人が言ってる事は圧倒的に正しいと言うことなのである。


それから世の中の人たちってほとんどクソまじめに生きてるんだなって事が分かった。


そろそろ人としゃべれるようになっておかないとやべえなと思った次第である。

ただやろうと思ってもそんなにうまくいかないもんなんだな。


若者の物欲

最近の若者は物を欲しがらないと言われる。

最近というが誰から見た最近なのだろう。

簡単に言うと若者は物を欲しがらないのではなく金がなく将来が不安なので物を欲しがらないのだろう。

使える金がいくらでもあったら色んな物を欲しがるに決まっている。

車離れも時計もバックも何でも本当は欲しいけれど普通に働いても買えると言うわけではない事が多い。

僕が見てるTwitter上には若いのに高い時計とか車を持っている人が沢山いる。

若いのに何故そんなに高い時計とか車を買えるのかは分からない。

実際に彼らがどんな手段で稼いでいるのかなどはどうでもいい事だろう。

知ったところで自分にはどうしようもないからだ。

表面上は凄く楽に見えても裏では苦労してるって事が多いんだろうな。

皆んなそれを出さないでTwitterでは良い面だけを見せてるから勘違いする人も出てくるのだろうと思う。

その羨ましいと言う感情がなければ経済も発達していかないのだろう。

人より良いものが欲しいとか自分だけしか持ってないものが欲しいっていうのは本来人間に元々備わっている自然な感情なはずだ。


今の若者はそれがないのではなく 欲しいと思ってもどうせ手の届かない場所にあるからあきらめてしまってるという事が本当に多い。


その年で何をしてないのはおかしいとかまだ若いのに高いものを持ってるとかいうのは人は比べ合う生き物だという事を示している。

無人島で生活するとなった時に高級時計を持っていく人は一体何人いるのだろうか。

恐らく少数だろう。

本当の時計好きや車好きなどと言うことはどうでもいい事だ。

欲しいと思ったら頑張って買うという人が多ければ経済も上向きになる。


人を動かすのは対 人との出来事が大半だろう。


というかそれ以外の事は殆どありえないのか。。


だとしたら人生の目的というのは何なのだろうか。

欲しいものを買ったとしてその先に何があるのだろうか。

多分そんな事を考え出すと人生って楽しくないのだろうと思う。

元々意味なんてないし だけど生きていかなければいけない。

仕事して給料貰って生活するって事を普通の人間だったらやってるみたいなんだ。


これからどうなるんだろうな。。

物欲以前に生きていけるのだろうか。



AIに望むこと


実際にターミネーターのような事が将来的にあり得るのだろうか。

タイムマシンの問題は置いといても人工知能が勝手に暴走する事は無いだろうと思う。

このままの科学の発達で行けばそんな事はありえない。

まあ時代が急速に進めばどうなるかは分からないがこのままだったらAIの暴走は人間が管理出来るはずなのでありえない。


実際に僕がAIに期待している事はそんなに先の事ではなくて今 現実で役立って欲しいと思っている。


悪質な コピペ 改変サイトを見つける

アクセス数を稼ぐ為に悪質な記事を書くサイトは多く存在するように思える。

アクセス数が稼げればどんな事を書いても良いのだろうか。

アクセス数が集まるという事はそれだけ魅力的な記事である事は間違いないのではあるが、、。


記事を上手く見させるようにタイトルや写真を工夫する事は大いに結構だと思う。


というかそれこそが上手い技術である。

ただしそれが行き過ぎると過激なタイトルになりありもしないフェイクニュースを書くようになるのだろう。

会社や組織で記事を書くとなるとアクセスが集まらなければ仕事にならないのは分かるが嘘は何にもならないだろうと思う。


この前は医療系のサイトで書いてあることが嘘ばかりで問題になっていた。


僕は嘘では読者はつかないだろうと思っていたけれど意外と文章量とそれっぽい感じでやればかなりアクセスは稼げるみたいだった。


魅力的な文章と嘘は紙一重


アクセスが集まりやすいのはやはりゴシップネタや過激な話 エロい話などだろう。

そういうのはだいたい嘘が多くなる。

そして人はそういう話が大好きなのだと分かる。

AIが発達していけば嘘だけの記事を消していく事はできないだろうか。

もしかしたらテレビもネットも真実が大事なのではなく視聴者が求めるものを作り出しているだけなのかもしれない。

AIだったらそういう状況を壊せるのではないか。


1つのコンテンツが終わる時


物事にはいつか終わるけれどそれが長く続いたもの程終わる時には悲しい気持ちになるものだ。

1度頂点にたったとしても時代に適応しなければやがて廃れていくだろう。

時代が変われば何が淘汰されるか分からない。

AIの出現により必要の無くなる職業は沢山あるだろう。

何と時計修理も将来なくなるであろう職業だった。

今から目指してる自分はどうなるのだろうという感じだが。。



今回そんな事よりも今1つのコンテンツが終わろうとしているという現実がある。

何のことだか分かるだろうか。

そうMEGWIN TV の事だ。

今の小学生にはMEGWINは分かるだろうか。

分かる人は分かると思うが元祖ユーチューバーというべき人だ。

この人がいなければユーチューバーという職業もなかっただろう。

この人がやらなくても誰かがやってたから凄くないと言ってる人もいるけどその誰かがMEGWINなのだから凄いことは凄い。

10年以上動画を作り続けている事も簡単に出来る事ではないだろう。

ただ1つ言える事は今 全く面白くないという事だけだ。

人は変わり続けるし時代も求めるものが変わってきている。

昔のMEGWINが面白かったのは単にショートコントが時代に合っただけのことなんだ。

ファンだから言わせてもらうとMEGWINの人気が落ちたのは周りにライバルが増えすぎたからだと思う。



つまり最初はライバルがいなかったから何をしてもヒットした。

それでもyoutube初期の職業にもなってない時からやっている事実は凄いのだけれどMEGWIN自身にユーチューバーとしての才能はそこまで無いのではないだろうか。


何より喋りが上手くなければならない。

そこそこ喋れるけれど今の最新の動画を見るとただ勢いで押し切るだけの今時流行らないようなものだった。

昔はもっと企画力もあったはずだ。

今の他のユーチューバーがよくやってるプレゼンをしたり街行く女の人に下衆な質問をするのはもうウンザリだ。

そういうのが人気なのは分かる。

MEGWINはそういうのをやる人ではないと思ってた。

だけどこないだ見たら下衆な質問するやつをやっていてかなりガッカリした。

もうこのままやっていてもしょうがないっていうのは自身で言ってたことだし百万人行かなかったら潔く辞めて欲しい。

1つのコンテンツが終わる時が来たのだ。

身長が低いと悩む人へ


日本人の平均身長は成人男性で171㎝ぐらい。

これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれ

この身長より低ければ平均は高いと思うしこの身長より高ければ平均は低いと思う。

もちろん僕はこの平均身長は高いなと思った。何故なら自分の身長が162㎝ほどだからだ。結構女の人に抜かれる事も多いし舐められる事も多い。

その証拠によく道を聞かれる事が多い。

優しいと思われてるなら良いのだけれど人は自分より強いと思う人にはわざわざ接触するような事はないと思ってる。

ただ実際にこの身長だからといって苦労する事も無いし何より変えられない事なので悩むだけ無駄というのもある。

そこで背が低いとかで悩んでいる人に言いたい事がある。

特に小・中学生で悩んでいてこれを見ている人には今だけの問題だと言いたい。

デカイ事が正義だった小・中学生時代

もしこれを見てそんな訳ないじゃんとか思った人は恐らく背の順で前の方ではなかっただろう。


少なくとも僕が感じてた事だが子供のうちは成長しているって事が何よりも褒められる事だった。


教師も背が高い人の方が良いんだななんて勝手に思ってたような気がする。

生徒同士でもあれぐらいの年齢だと社会性などというものは完全に欠落しており力が強いか話しが上手いやつが1番だった時代だ。


ただ不思議とイジメのような事はなかった。

同級生たちは皆んなどこまでだったらやってよくて これ以上は駄目だって事を良く分かっていたし絶妙なパワーバランスの上に成り立っていたのだと今になって分かる。

高校時代

高校生の時を思い出して見ると背が低いからといって何かあった事はなかった。

それは何故かというと中学と違って同級生は仲の良いやつ以外は他人だったからだ。

高校生にもなるともう大人なのか分からないけど他人と喧嘩したりぶつかったりする程元気もなかったし損するだけだって分かってたようだ。

高校も卒業すると身長の高い低いで勝敗がつくことなど無い。

スポーツ選手になるとかモデルを目指している人なら別だがそれ以外の人は何の影響もない。

逆に言うとモデルになりたい人は背が低いとなれない訳だが。。

喧嘩したい人はデカイ方が良いだろうがいい年して喧嘩自慢は本当に可哀想な人だなと思う。

喧嘩は何にも生み出さない。

ただただ自分が損するだけの事である。

ただ一つ困る事

背が低くても困る事は無いと言ってきたが一つ困る事がある。

それは女の人から敬遠されると言う事だ。

世の中身長が170以上はないと嫌だという女が一定数いる事は確かだ。

今から身長を伸ばす事は不可能なので背が低くても良いという人を見つける訳だが何だか悔しい気持ちである。

僕自身何故背が高い方が良いかっていうのは分かっている。

何故なら背が高い方が生物として優れているからだ。

優秀な遺伝子を残したいというのは本能に組み込まれており自然な事ではある。

自分は親が言うにはそんなにブサイクではないという。

自分でも中の中ぐらいだろうと思いたい。

自分よりただ背が高いってだけで俺の方がいけてると思ってもモテてたりするとかなり悔しい。

これが現実なのかと思う事は多い。

コミュ力を鍛えろとか無責任な事をいう輩は多いがコミュ力があればこんな事にはなっていない。

そもそも論なのである。

あとよく筋トレしろとか筋肉で全てを解決するっていう人が流行ってるが自分はそうとは思わない。

筋肉は自然につくだけで十分なのだ。

何より筋肉で全ては解決する事は出来ない。

人は生まれた時から決まっている事も多い。

その内の一つが身長だ。

不老不死が実現した世の中


人間はいつか死ぬ。

生物はいつか死ぬし それが自然の摂理だろう。

医療技術が発達していく世の中で寿命はどんどん伸びてきたのだが果たして不老不死が実現する世の中は訪れるのだろうか。

人類の永遠の夢

人類の永遠の夢というように人類は不老不死を目指しているみたいだ。

皆んなどうだろう。

永遠の命など欲しいだろうか。

僕はずっと生き続けたいとは思わない。
やっぱり限りがあるからこそ人生も輝くと思う。

そもそもずっと生きていたら退屈で仕方がない。

人生も若い時と歳をとった時があるから変化があって楽しいだろう。

不老不死が実現するとしたら

不老不死を実現するとしたら何が問題になるだろうか。

まず脳が100年 150年とか耐えられるだろうか。

記憶の量も限りがあるのでまず脳の容量が持たなくなる。

肉体はどうだろうか。

遺伝子をいじって老化を止めたりすることが出来るようになるだろうか。

それが出来るとしても限界は来るはずだ。

だから僕は不老不死と言っても実現するには肉体はロボットの体で脳も記憶をコピーしただけの機械になるんじゃないかと思う。

これはクローン人間の話でもそうだったがそれはもはや自分といえるのだろうか。

分裂を繰り返すクラゲなんかは寿命という概念がないみたいでどんどん自分の分身が出来ていく。

人間だとしたら自分の分身が出来て今の自分が死んでも新しい自分が生きていたらそれは生きていると言えるのだろうか。

それはもう別人だろうと思う。

不老不死が実現すると困る事もある。

地球が人間で埋め尽くされる事になるのだ。

死なないということは人が生まれてくる限りどんどん増えていくという事なのだ。

そうなると食料も無くなる。

僕自身ずっと生きていたいとは思わない。

死ぬのが自然なんだし不老不死が実現して欲しいとは思わない。