時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

モテキの映画


モテキの映画が公開されたのは2011年 もう6年も前なんだ。 そんなに時間が経っていたのかってぐらい最近の事のように思える。 この映画は何回も見ているし 内容も頭に入ってしまっている。 普通 原作が漫画でそれが実写化するとなると実写のイメージが違うとかで嫌がる人も多いと思う。 ただ僕の場合は原作よりも先に映画を見ているし その後にドラマ 原作を読むという完全に流れと逆行している。
ただ森山未來は完全に主人公だったと思う。 というか藤本幸世は森山未來以外にありえない。 そう思うほど役に合っていた。役者っていうのは仕事とはいえこれほどまでに演じきれるのかって驚いたのを覚えている。
6年も前だと今とはだいぶ状況が違うように思う。あの時はまだ進撃の巨人はそんなに有名じゃなかった。だって幸世が進撃の巨人知ってるの?こんなにマイナーな漫画なのに俺と話したいんだよが合うぞみたいな。。今進撃の巨人知らない人いるかな。 ほとんどいないと思う。 この6年ですごい有名になったんだよな。
あとこの映画では長澤まさみがとんでもなく可愛かった。 今の長澤まさみではないし昔の長澤まさみではない。 他の女優でも出来ない。
僕は常々思うのだけれど役者も人間な訳で歳を取る。その時の映画やドラマはその時にしか取れないということになる。 だからこそ作品に価値が生まれるんじゃないかな。 何度もやり直せたら何の意味も生まれない。人間だって不老不死になってしまえば人生の意味も価値も無くなってしまうんじゃないだろうか。
2011年当時映画を見た中学生の僕はこれからはSNSの時代が来ると思った。 実際思ったというより後からの記憶のこじつけかもしれない。 だけど当時スマホを持っている人もいたがガラケーも多いという状況だったと思う。物語でみゆきと出会うのもTwitterからだったしSNSをメインに描いていると思う。 これからはスーツきて仕事するばかりではなくカジュアルな服装で仕事をする人もどんどん増えていくはずだろう。そう確信した。 僕自身スーツは好きだけど着るのは嫌いというのはこの時から始まったのかな。。もしかしたらもうちょっと後のような気もするが。
色んな意味でモテキの映画っていうのはこれからの時代を予見していた気がする。まあほとんど時代の流れは決まっていたからその通りになる訳だけどそれでも凄いと思う。
そういえばモテキのドラマ版では幸世は途中までガラケーだった気がする。なんだか似合わねえなとおもうのではある。


ネットから見る現実世界は理想的に見える法則

iphoneは10年で世界を変えてしまった。世界の中には日本も入っているだろう。僕は世界のことは分からないが日本に住んでいるので日本の事は分かるだろうと思う。 まず1つ言えるのはiphoneは確実に日本を変えた。 それまで日本はガラケーが主流だった。ガラパコス携帯というぐらいで日本に特化した携帯だった。 お財布携帯 ワンセグ 防水 などなど 携帯自体の種類も多くカタログを見るだけで楽しかったのではないだろうか。 お財布携帯や防水機能などを見るとiphone7で今更防水機能なんて遅いと感じてしまう。 Suicaと連動する奴もお財布携帯なんて機能はあったわけだしアップルならもっと早く出来たのではないかと思ってしまう。 それとも世界基準ではそれらの機能は必要なくアップルが日本に合わせたのかな。

僕が小学生ぐらいの時は女子高生なんかは携帯にバカでかいストラップを付けていた。 携帯なんかよりもずっと大きいやつだ。 それに携帯小説なんかも流行っていた。 相手によって着信音は変えていたし、メールが来ない時は何度も問い合わせしてしまうという現象もあった。 こういうのは日本の独自の文化と言えると思うのだがiphoneが登場してジワジワその文化は消滅していっている。 僕は初めての携帯はガラケーだったからギリギリ分かる。 そういう意味では最初からスマホじゃなくて逆に良かったとさえ思える。


iphone スマホが登場して 人々は小型のパソコンを持ったのと同じ事になる。 実際 パソコンと出来る事は変わるかもしれないが パソコンを小さくしたようなものだ。 それによって写真も動画も簡単に撮ってそのまま発信出来るようになった。 その事はいい事だと思う。 技術も発達した訳だし。 ただそれによって誰もが 人に羨ましいと思われる写真もしくは動画を撮りたいと思うようになったんじゃないかな。まあ当たり前だよな。 本当に僕はいつも思ってしまう。ネットで見る写真や動画は実際に見るより理想的に見える。実際ネットでみて良いなと思った所に行ってもそんなに凄いと思わなくなってしまっている。
人が撮った写真や動画が理想的に見えるというのは人間の想像力が素晴らしすぎるからじゃないかな。 ただその人が1枚の写真を乗っけているだけでもそんな楽しい事したんだなという想像力が働いてしまう。 それで同じ事をしても思ったより楽しくないなと思ってしまうんだ。
Instagramなんかそれを上手く使ったサービスだなと思う。 どんな人が撮っても加工すればそれっぽい写真になるからだ。 それっぽいってネットでは1番大事になってきているな。

情報商材に騙される馬鹿

情報商材とは主にインターネットなどを介して売買される情報のこと。情報の内容が商品になるものである。単に情報とも。
Wikipediaから引用した。 情報商材ってネットサーフィンとかしていると目にすることは多いと思う。 情報商材のすべてが金儲け出来るぞーと呼びかけているものだけではないと思うけど、そのほとんどが金を儲けるための方法を売っているものだと思う。 アフィリエイトにしろFXにしろ客のお金が欲しいという気持ちを使って情報を売ろうとしているものだ。

なぜ金儲け系の情報商材が無くならないかというと世の中にお金に興味が無い人はいないからというのが1つと 世の中想像以上に馬鹿が多いからである。 僕は何故情報を買うのか全く分からない。
アフィリエイトで儲ける方法という情報は腐るほど売られているが無料で見ることが出来るブログにほとんどのことは書かれている。 それにも関わらず情報を買ってしまうのは何も考えてないんじゃ無いかな。

良くコピペを何分するだけでいくら稼げるというのを見かける。 アフィリエイトで稼ぐということだと思うけどアフィリエイトっていうのは地道に努力していく人が儲けられるものである。 そして大きく儲けてもそれを継続していくにはかなり辛いと思う。 そしてコピペだけでなんちゃらとかいう宣伝は良く見ると重要な事は書いてなどいない。 15分で30000とか 何分でいくら そういう時間と値段のことしか書かれていない。 まあそこから情報を買ってもらうようにするのだから重要なことは書かないのかもしれない。

アフィリエイトにしろFXにしろ儲けるためにはかなり辛いと思う。アフィリエイトは毎日毎日記事を書かなきゃいけないし FXは精神を削って取引を続けている。 そんな当然の事なのに甘い言葉に釣られて情報を買う人は楽したいという思いが強いことが分かる。 それと情報を買って成功したという人がいるがそれはレアケースな上にその人は元々成功できるような人なのだろう。

よく考えてみて欲しいが稼げる方法を人にわざわざ教えるバカがいるだろうか。 普通はライバルが増えるだけだから進めるはずがない。 それなのに稼ぐ方法を教えようというのだからそれは自分が稼ぐための手段なだけに過ぎないということだ。 僕はなるべく働きたくないし楽して金が欲しいと思っている。 そして最近気付いたのだが金を持っている人は金を金だと思ってないんじゃないかということである。
株なんかで儲けている人は金を単なる数字のように扱っているように感じる。 ブログで稼いでいる人は文書は読みやすいし何より書くことが好きなのだろう。でなければ続けることなど出来るはずもない。
好きなことをやっていてそれがお金になるのが1番だと思うがそんなにうまくいかないんだろうな。

それと情報商材を散々馬鹿にしてきたが稼ぐ系以外だとマトモなものもあるということで。ただ情報商材で稼ぐ系以外ってあるの?

羨ましいという感情

他人を羨ましいと思った事あるだろうか。 隣の芝生は青いという言葉があるようにどうしても他の人を見て羨ましいと思ってしまう。 人間が複数で生活している以上比べられ競争することは仕方ないんだろうな。 そして自分より優れている人物に対して羨ましいとか 悔しいという感情を持つんだと思う。

僕はこの言葉は好きじゃないんだけど 良く 勝ち組 負け組 っていう言葉あるよな。 人を勝ち組とか負け組とか判断するなんて自分が神にでもなったつもりなのか。 人の生き方にケチつけるなんていい気分しないな。 人は自分の経験でしか語れないんだからその中で勝ち負けを判断しているだけなんだよな。 結局他人なんて所詮他人なんだから自分のことなんて真剣には考えない。 意見なんて言われたって自分がどうしたいかということが大切だろう。

人の生き方にケチをつけるという意味では僕も言ってしまうかもしれないが小学校 中学校には行った方が良いと思うんだ。 いじめなんかで苦しいなら行かなくても良いしフリースクールなんてのもあるからいいと思うけど、なんか哲学者になるから小学校に行かないとか言っているばおくんとか言う奴 何年かしたら後悔してしまうんじゃないかと勝手に心配している。
それにどうしても背後に親の気配を感じてしまうんだ。 小学校時代っていうのは 子供の中ではとても大事なものだろう。 それを自宅学習なんて都合の良い言葉で 子供を商売の道具に使っている気がしてしまう。 本人がそれで良いのなら他人がいうことではないのかもしれないな。

そんな中で僕の最近の気持ちはあまり他人を羨ましがるという気持ちは無くなっている気がする。 楽しそうにやっている奴もきっと見えない苦労をしているんだろうなと思うようになった。 だからなのか他人に自分のことをごちゃごちゃ言われるのは本当に嫌いだ。
てめえが頑張っているのはそりゃあ偉いがそれと俺と何の関係があるんだっていう話だ。 家族ならまだしも人生語れる程経験あるのかって話だ。

結論だが結局人を羨ましいと思う必要なんてないって事だ。

all or nothing

all or nothing 意味は全てかゼロかみたいな意味だと思う。 この言葉 何故か耳に残っていてどこで聞いたんだろうなと思い出していたら たしかはじめの一歩で聞いたんだ。 鷹村とブライアンホークの試合で ブライアンホークが追い込まれた時 トレーナーのミゲルが言った言葉だった。 all or nothing それがリングの掟だ。

勝てば全てを手に入れることが出来るが 負ければ全てを失うのか。 これは2位と最下位は同じだという考えなんだろうな。 確かに勝負の世界 競争では勝つことが全てなんだろうな。

ただ全員が1位になれない以上負けている人間 はどうすれば良いのかな。 本当に世の中負けている人は多いと思うんだ。 まず就職出来ないと完全に詰みだ。 才能も能力もある奴はそんな事考えなくても良いさ。 自分が出来ることやれる事を分かっているはずだからな。 問題は凡人もしくは凡人以下の能力の場合だ。 就職出来れば簡単にはクビにはならないだろうし、職歴も付くし経験も積めるから大丈夫だ。

しかし日本は新卒一括採用って事は新卒で就職出来ないと凡人は必ず終わりだ。 就職出来ないと終わりだと言うと 起業すれば良いだの 他にも道はあるとか言う奴は多いけれど 僕はそれは一般的ではないと思う。 極一部の成功者の例だけを上げて自分が成功出来る訳がないじゃないか。だからほとんどの人は普通に就職するんだろ。

日本の就職制度は良いのか悪いのかは分からないけど企業も学生も嘘ばっかりだよな。 面接の期間は決まっているのに優秀な学生を確保する為にはフライングして面接をしてしまうんだ。 大人たちは 社会は嘘が多いんだなんて言うけれど本当にそれでいいのか? 僕が言ったところで変わらないし 企業も悪い訳ではないとは思う。

今の僕の悩みは就職制度がどうこうではなくて自分が果たして就職出来るのかそして社会でやっていけるかというところなんだよな。
all or nothing 正に 勝ち抜けば普通の人生を送ることが出来るが負ければ敗者 負け組という事になる。

ちょっと前の日本


ちょっと前の日本ってかなり好きだった。 ここでいうちょっと前の日本ていうのは2007年くらいかな。 今から10年前くらいかな。 その頃はスマホなんて無かった。 正にガラケー全盛期だったんだ。 当時僕は小学四年生ぐらいで携帯は持ってなかったから テレビとかで携帯を使っている人や周りで携帯持っている人は 凄く大人に見えた。 女子高生たちは携帯よりもでかいストラップを付けていたな。それを大人たちがおかしいだろとかいう雰囲気が良かったなんて思う。 今や携帯にストラップを付けるなんて文化は無くなってしまったんだな。 初代iphoneが出てきたのもそれくらいだし iphoneが10年で日本と世界を変えてしまった裏で日本の独自の文化は失われ世界基準になっていったんだと思うよ。 だから懐かしく思うんだろうな。 それに当時僕は小学生だったから大人たちがもってる携帯というのは憧れの存在だった。 あの変形したりしてテレビを見れるというのは今見てもカッコイイんじゃないかな。 昔の方が良かったなんて野暮だと思うし今のスマホはすごい便利だと思う。 だけどあの日本独自で作り出した文化は忘れたくない。

2007年ぐらいの流行ってた音楽といえばORANGE RANGEかな。あと浜崎あゆみが全盛期だったと思う。 その時の音楽がいい音楽なのかは分からないけど今のアイドルばかりがオリコンを独占するよりはよっぽど良かったと思う。Jポップって感じがしたよ。 僕はORANGE RANGEが好きだしその頃やってた花ざかりの君たちへは最高に良かった。 今あれはやり直さないで欲しいな。 あの頃の堀北真希が戻ってくるわけでもないし あのビデオで録画するのが懐かしい。 ORANGE RANGEとかを見ていると上手ければ売れるという訳でもないんじゃないかな。 ORANGE RANGEが下手って訳じゃないけど もっと上手い人でも売れない人はいっぱいいるもんな。

そういえばTwitterってその頃あったけ。 主役はmixiだった気がする。 mixiっていうのはガラケーでポチポチやるのが良いんだな。

好きなことで生きていく

好きなことで生きていく。 かの有名なYouTubeのCMというわけなんだが YouTubeで仕事が成り立っている以上動画をアップするのが仕事ということになる。 動画をアップするだけなんて楽そうで良いなあなんて僕も思ってた。実際僕はYouTubeに動画をアップした事はないんだけど毎日上げ続けるなんてそうとうしんどい事なんだろうなとは思う。 しかも再生回数を伸ばすためにはきっちり編集、質の良いものを作らなければならない。

最近子供の将来の夢にYouTuberというのが上位にランクインしているみたいだ。 これだけネットが発達していれば 憧れる人が出てくるのは当然か。 今まで僕はYouTuberなんて目指すのは安定性もないし馬鹿だなと思っていた。
しかし今の時代それは視野が狭まり過ぎているかもしれない。 まずYouTubeが無くなったらどうするんだ。 という意見なんだまあYouTubeは無くならないだろうな。 かなりの数の動画があり そこに広告が出ているということは大元は儲かっているはずなんだよな。大元はGoogleかな? 仮にYouTubeが無くなったとしてすぐにそれに代わるサービスが登場するだろう。 そしてYouTuberと言われる人たちはそこに移動するかな。 だから僕はYouTubeが無くなるという心配はしなくて良いと思う。
ただ本当に安定性があるかというとどうなのだろうか。 トップを走り続けている大物の人は問題ないと思うけどギリギリの人はいつ広告の単価が変わるか分からないし、Googleが変えると言ったら反対した所でシステムなんて変わってしまうだろう。

昔は良かったなんてダサいかもしれないが4、5年前のYouTubeは面白かったと思う。 何というか本当に動画を作るのが好きなんだろうなというのが伝わってきていた。 ヒカキンだってその頃は面白かったはずなのに。。それが今ではどうだろう。 僕が好きだった時代はそれよりも前の2007年ぐらいかな。 あの時代はもう戻ってこないのだな。悲しいぜ。
僕も趣味で動画上げてみようかな。 ビデオカメラが無いな。 スマホじゃ しょうがないしな。