時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

群衆の中の猫 君とは誰だ


https://youtu.be/kmvtwjnHD24尾崎豊 - 群衆の中の猫 ('88東京ドーム) - YouTube

男らしい曲

群衆の中の猫という曲 聞いてると君というのかが頻繁に出てくる。

君らしく 生きて欲しいから
やさしく肩を抱き寄せよう
君が悲しみにくれてしまわぬ様に
やさしく肩を抱き寄せよう

これ言えるの男の中の男でしょ。

君らしく生きて欲しいから俺が支えるってそれは自分に自信があるんだろうな。

やさしく肩を抱き寄せたらすべてが解決するんだ 少なくとも 僕と君との間では それが出来るんだ。

こういう歌詞は下手をすればカッコつけとも言われるかもしれないが 勿論 尾崎豊が歌えば問題ない。




こういう曲は多くて ダンスホールとか

俺の胸で眠るが良い

だから凄いよなと思う。

これを言える男が少ないってのはつい時代のせいにしがちだけど そんなんじゃない。

出来る奴は結局出来るもんだよ。


そもそも君という存在はどこにいるんだろうか。

群衆にまぎれ込んだ 子猫の様に
傷ついて路頭 さまよい続けているなら
ねえここへおいでよ 笑顔を僕が守ってあげるから


歌詞を引用しながら文章みたいなのを書こうとするともう歌詞が完成されすぎていて あれ?
自分の言葉はこれで良いのかと思うまでになる。


自分も現代の若者というのに当てはめると消極的? な方の人間なので
この曲には 一種の羨ましさを感じる。

愛だけたよりに 雑踏の中に君を探している

今 これだけ他の人に興味が持てない。

普通 相手に好かれたいとか気に入られたいとかあると思うが 自分も含めて 現代の若者と言われる人は 初めから諦めてる。

諦めてるというより無意味に思えるんだな。

正に興味がないとしか言いようがない。

俺はそんな若者じゃねーよ と言う人がいたら申し訳ない。


何もかも わかちあって行きたいから
やさしく肩を 抱き寄せよう
雨に街が輝いて見えるまで
やさしく肩を 抱き寄せよう


とにかくこの曲を聴いているとやさしく肩を抱き寄せようって 言えるのは 俺からすれば選ばれた人たちだが
逆に言えない方が少数なのかもしれない。

銃が人を殺す

有名な言葉で 銃が人を殺すのではない。

人が人を殺すのである。

というのがある。


確か全米ライフル協会の発言であったが 本気でそう思っているのであろうか。

銃 乱射事件が 起こるたびに銃規制の問題が取り沙汰されるアメリカだが一向に 規制は進まない


ライフル協会の政治票とかアメリカの成り立ちを考えるとなかなか難しいし ここまで広まってしまった以上 今更 規制出来ないんだろう。


ただ今回考えるのは間違いなく人を殺しているのは人ではあるが銃という道具がもたらしているものがある。



まず考え方として銃は人 あるいは動物の命を奪うか怪我を負わせるものだという事。


この点からしてナイフも危ないとか車も危ないとかいう理論は全く成り立たないように思える。


一応 僕は銃 自体をカッコいいものだと思ってるし 狩猟なんかもしてみたいと思ってる。


矛盾してるかもしれないが動物の命を奪う行為は人を殺す事とは違うと思っている。

というかそうでなければ人間は生きていく事は出来ないだろう。

肉を食ってる以上そういう事。


銃が人を殺す目的の物なので指一本 少し動かすだけで一瞬で 大男だろうが どんなに体格が違う相手でも簡単に殺せる。


銃がなければ死ななかった人は沢山いるだろう。

簡単である故 どんな奴が隠しもっているかも分からない。

世の中想像以上に頭の吹っ飛んだ奴がいるのだ。

それと銃というのは不思議な力があるのかどうなのか

銃を持つと人が変わってしまう。


一度 撃つと何かに取り憑かれてしまうようだ。

大多数の 人は銃口を人に向けたりはしない。

何故なら自分も死にたくはないから。


ただし銃の魔力に取り憑かれてしまった人が耐え難い苦痛や困難から逃れる為の手段として銃を使ってしまったら

それこそ止めようがないだろう。

ライフル協会も間違っているが銃は自衛の為の武器にはなり得ない。

どう考えても先制攻撃の為の武器である。

確かに乱射している犯人を止めるには銃が必要だが一般市民が持っていても意味あるかな。

被害を最小限に食い止める事は出来るはずだ。

ただしそれも射撃の腕がある程度ないと駄目だろうな。


銃 規制が必要な理由は銃自体が人間を変えてしまう魔力を持っている事にあると思う。

結婚したいか?

考え方というのはその時々でどんどん変わっていくもので時間が経ち環境が変われば それは過去の自分であって もう今の自分とは他人なのだろう。


そういうわけで今の考えでいうと自分は結婚したいというのが無い。

相手が居ないんだろう 負け惜しみか? などという 心無い意見は置いといて なんかめんどくさいなと思うのである。

実際 相手がいないのは事実。


そもそも誤解されても別に良いのだが 自分はまずゲイ ではない。

ゲイである事を恥ずかしいと思うという事は全くないだろうが 何故か 彼女がいないと お前はゲイなのか などといじられたりする。


こういう出来事があると 普通に 付き合って普通に結婚して普通に子供を作るのが当たり前な人はどれくらいいるのだろうと思う。


男も女も好きじゃないって人いないのかな。

興味がないっていうとカッコつけてるみたいで嫌だけど なんていうのかな
全てにおいて人と深く関わるっていうのはめんどくさいし疲れるんだ。

いわゆる彼女が出来ない 人がバカにされるのには それだけ魅力がない人ということなのだろうが
逆にいうと何故 世間の普通の人間というのはそんなに魅力に溢れているのだろう。


普通に生きていればパートナーなんて簡単に出来るよね。 出来ない人は問題があるんだよって言われたことはよくある。


それと私 自分より背が低い人は無理〜 と面と向かって言われたが それを本人に言ってどうすんだよ。。

悲しくなるだけじゃねえか。

何にも生み出さねえよ。

そうやって自分は性的に優れているんだ お前よりは上だと散々言われて 俺は疲れてしまった。


そんな場合 反論しても無意味だった。


俺の場合 自分でいうのも何だが顔はそんなに悪くないはず。

男の場合 背も大事な要素だが まあ160 ちょっとしかない。

これはもう変えられないのでどうしようもない。

どうしようもない故に幼少期より様々な 言われ方をして来た。

同じような境遇の人なら分かると思うがこれは案外堪えるものである。

そして何より1番まずいのは人と目を合わせられない。

オドオド? している雰囲気らしい。

やっぱり顔云々 よりも背よりも 自身に満ち溢れている人ほど 男らしいし 魅力もあると思う。


批判されるのが怖くて関わらないってのを選択してきたけど この先どうなるんだろうってのが恐怖しかない。


リア充にならなくても良いから理解者が欲しいと思ったのであった。

日常がすり替えた叫びに誰もが気を失う。

最近このアルバムばかり聴いてる気がするんだ。

どっちかというとマイナーな曲が集まっている。 尾崎自身も失敗作と語るようにどうもあの伝説的なシンガーの作った曲じゃないぞと思う。

言ってみれば晩年?の曲たちも聴いてみればやっぱりメロディーが良い。

福山雅治も言ってたよな。

尾崎豊は曲が良いんだって。

自分は音楽の事は全く分からないので好き勝手にいう事にしている。

歌詞の勝手な解釈になるが日々誰もが気を失った状態、、つまり仕事やその他大変な事があって誰も正常な人はいないんだ。

それを皆んなが皆んな隠してるから社会は一見普通の人々で成り立ってるように見えてしまう。

何かが俺と社会とを不調和にしていくけれど前から少しずつ 感じていたことなんだ。

そう歌詞にもあって何で俺だけが感じてるんだろうって思うはずさ。

だけどそれを口に出したところで皆んな否定するんだ。


誰もがそんな事は言わないってお約束でやっているから。

核 (CORE) [アルバム・ヴァージョン]

核 (CORE) [アルバム・ヴァージョン]

  • 尾崎 豊
  • ロック
  • ¥250


太陽の破片

太陽の破片

  • 尾崎 豊
  • ロック
  • ¥250


それからこの時ってヤクは抜けてたのかな。
cold windなんか聞くとやっぱやってる感じするよなと思う。

もしあそこで死ななかったとしてその後あんまりいい感じにはならなかったはず。

歌は好きだけど尾崎豊のそういう所は否定し続けなければならない。

そして自分は尾崎豊 信者にはなりたくない。

ただのファンでいたい。

尾崎が嫌われる要素の1つに信者がウザいというのがある。

信者っていうのは本当にヤバくてその人が何をやっても犯罪者でも もう洗脳みたいなもんだから何でも肯定的になってる。

そんなの抜きにしてさ単純に歌が上手いとか歌詞が好き。 ファンっていうのはそれでいいんだ。

男として大事な事



男らしさという言葉も もうそろそろなくなりつつある言葉だ。

ちょっと前まで男が少女漫画とか子供が見るアニメとか見てると凄い気持ち悪い認定されてた気がするんだ。

今やそんなのも堂々としたもんになった。

自分も意外と少女漫画 好きなので良いかという感じ。


男らしさというのは人によって違うだろうが今回は男らしさよりも男として 女も 人として大事な事についてだ。


本題だが男として最も大事なことは金を払ってAVを見ることである。

これ守れてる野郎が果たして日本に何割いるだろうか。

今や無料で見られるエロ動画というのはネット上に沢山ある。

そういうのを無料だからといって見てる奴が男らしいといえるか?

もはや男らしさ以前の問題で違法であることの認識が足りなさすぎやしないだろうか。


漫画村は批判する癖にxvideoだと声を上げる人は少ない。

エロだったら違法に見ても良いということは一切ない。

無料のエロ動画で喜んでるやつは男らしいとか抜きに三流以下のクズであると言うことは忘れないでもらいたい。

金の流れを正しく受け取るべき人が受け取らなければやがてそれは自分の身にも帰ってくるだろう。


多分違法視聴で逮捕されることはないと思うがこれを見た人は今日からAVは買うかダウンロード レンタル いずれにしても金を払ってみること。

そしてその意味を自分自身でよく考えてみてほしい。


小学生でもスマホを持ってる今の時代だからこそ大人たちが正しい利用を教えなければならない。

野猿 二郎


今日 ラーメン二郎野猿街道店という所に行ってきた。

ネットではしきりに美味いと言われてる店なのでどんなものか食べてみたかった。

確かに不味くはない。。 美味いことは美味いが自分の好みでは無い。

まずにんにくが辛すぎる。 麺が粉っぽい スープがしょっぱすぎるといった所だろうか。


麺が粉っぽいというのは二郎を食う上では当たり前の事かもしれないが自分はそれを感じない方が好きなのだ。

そういう意味でも今までで本当に美味いと思ったのは荻窪 ひばり 以上。

ラーメン二郎というのは自分に合う店を探す事が重要なのだ。

そして俺はなるべく変な客がいるいない所で食べたい。

この店は不思議な力があるのか変な客が集まると思う。

意味不明な動きをするおっさんから馬鹿騒ぎする大学生までおよそ普通の飲食店にはいないであろう人ばかりだ。

一回ハスミ (漢字が出てこないが)に行ったことがあるが麺が太すぎる 粉っぽい およそ人が食うもんじゃねえと思ったことがある。

もちろん人それぞれ味覚は違うのでそれを美味いと思う人がいる事は分かるが あれを食べに行きたいとはあんまり思わなかった。


まだ二郎を食ったことがないという人は是非荻窪の二郎に行ってみるといいと思う。

あそこは多分他の店よりはいかれたヤツも集まりづらいはずだ。

そして何より絶妙なバランスの取れたラーメンだと思う。

結局自分は二郎を食べれば食べるほど荻窪ひばりヶ丘の旨さに気づくのであった。

電車の端っこ


電車の端っこの席。 それは1つの座席に2つしかないという非常に貴重な席であるにも関わらず 多くの人が座りたい 座れたら良いなぁというものである。

時にはそれが原因で醜い争いがある程である。

では何故人々は端っこの席に座りたがるのだろうか。

理由は既に分かってる事であるが、壁に寄りかかれる事 両隣に人がいなくて片方だけ気にすれば良い という事があると思う。


パーソナルスペースというが知らない人が自分のスペースに入ってきたら本能的に嫌だと感じるものみたいだ。

朝の通勤時間帯の始発の電車に乗った事がある人は分かると思うけれどその時の席の取り合い 端っこの取り合いはかなり滑稽なものだ。

自分は初めから座れるはずがないと思ってるので気が楽だが。。


中でも1番気に入らないのは高速スライドしてくる人たちだ。


こっちが座ろうとするとスライドしてきて自分は座れなくなる。

まあ座れなくなるぐらいだったらどうって事ないがあの動きを見ているとイライラしてしまう。

まるで他人の事などどうでも良いかのように見えてしまうのだ。


もしかして自分が座れないからそういう事を思うのかもしれないがとにかく他の人を押しのけてでも座ろうとするその根性が気にくわない。



今 電車に対して人が多すぎるのだ。

自分も出来る事なら満員電車など乗りたくない。

しかし乗る電車が満員電車なのだから仕方ない。

東京の人は冷たいなんていうがみんな疲れてるだけなのだと思う。

自分の事だけで精一杯なのだ。

だからこそ座るべき人に席は譲るべきだし座るべき人はキチンと言葉に出して欲しい。


言葉に出さなければ伝わらない事だと思う。