時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

人が食べてるカップラーメンはおいしく見える


人が食べてるカップラーメンって妙においしそうに見える。
カップラーメンって大体 味は分かってる。
別にマズくはないがそう美味くもない。
結果が分かってる事でも人がやってると羨ましく思えてしまうもんなんだな。
これがいわゆる隣の芝生は青いって奴なんだろう。
最近思うのはどんなに羨ましく思えても自分には分からない苦労があるんだろうなと思ってる。
Twitterでは大学生で高級時計とか高い車とか買っていて親の金とか叩かれている人がいるみたい。
それを見て叩かれるのも分かるなと思う。要するに羨ましい。 なんで若いのにそんなに高い買い物出来るんだって怒っちゃう。
それを叩くのもTwitterに載せるのも自由だからどうでも良いけど画面だけでは分からない苦労が金持ちにもあるんだろう。
正直言ってあれだけ高級時計を上げられると僕もかなり羨ましい。
それがTwitterだと苦労もせずに親の金で買いやがって許せんと思う人が多いと思う。
だけど苦労するとかしないとかって本来比べられるものじゃないはず。
どんな家庭で育ったのかもそれぞれ違う訳だしどんだけ苦労したかを比べるなんてどれだけ残業したかを比べるくらいバカな事だと思うよ。
もう辞めないか苦労した人の方が偉いって風潮は。
親が金持ちなら良い事じゃないか。嫌なら関わらなければ良い。
それで大抵の事は上手くいくはずだ。
Twitterの写真を見るとその一枚から人間は関係ない事まで想像できてしまう。
想像力が豊かなのは良い事ではあるが勝手に判断してしまうという意味では良くはない。
いつも感じるのは写真で見ると凄い良く見えるんだけど実際に見るとなんだそんな感じなんだって拍子抜けしてしまう。
これを分析するのは恥ずかしいがおそらくどうせ買えないしっていうのが続いているからだろう。高級時計なんか頑張ってもどうせ買えないし買っても一点豪華主義になってしまう事が分かってる。
金持ちにはどうやったって勝てっこない。ローン組んで買うのもバカバカしいし投資の才能もない。
いわゆる実績とかこれをやってたから自身があるとかがまるっきりない。薄っぺらい人間になってしまった。
投資の話だけど才能ない人は絶対に辞めた方が良い。
あれは天才だけがやってれば良いんだ。
株価が上がった下がったで左右される人生なんて嫌だね。