時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

天才は2ちゃんねるとラジオにいる


世の中生まれ持った能力が違うんだなと思う天才がいる。 世に出て行くタイプの天才もいるが顔も名前も知られていない天才がこの世の中いると思う。 まず僕は色んな人が使う言葉を残す人って天才だと思う。 例えば2ちゃんとかでもコピペになるような言い回しとかってあるけどそういうのを生み出した人こそ真の天才だと思っている。 特に昔から2ちゃんに書き込んでる人には能力が高い人が多いように思える。人生を楽しんでる天才が多い。色んなネタを考えたり言葉のセンスが抜群なんだよな。 2ちゃんにいる人が全員そういうわけではない。 特に最近の小学生なんかだとそういうネタというのが通じない気がする。何でも真剣にとらえちゃってクレームの嵐だ。 正に嘘を嘘と見抜けない人にはネットを使うのは難しいって言葉が当てはまる。昔から2ちゃんやっていてセンスがいい人達って国語の成績とかも良かったんじゃないかなと思う。決して世の中に出るような人じゃないけど天才だと思う。 それってもう文化を作っているっていっても良いんじゃないかな。天才とバカは紙一重っていうけどさswitch詐欺にあっちゃう人は本当にただのバカって事だよ。あったこともない人を信じるなんて皆んなが優しいと思い込んでるのかね。
僕が天才だと思ってる人たちはネットにはネタで面白いこと書き込むし詐欺にも騙されないと思う。 やっぱりそこで何か言葉では言えないけど見抜く力があるんだろうね。
ラジオにも文化を作ってきた天才っていうのがいる。あまりにも凄い人は放送作家になる人もいる。もうそうなると天才なんだけどそれは仕事になっちゃうんだな。 ハガキ職人っていうのは自分たちが楽しいからやるんだろう。面白いことは楽しまなきゃ出てこない。もっといえぼ面白くなくてもいいやと思わないと面白さに繋がらないと思うんだ。笑いのツボって色んなのがあるけど天才は面白くしようと努力なんかしない。 だって楽しむのがもう面白いんだから。
ラジオも2ちゃんも何故か5、6年前が面白くてそれのコピペとか使い回しで今やっていってる感じがする。 これからの若い世代にもセンスある奴はいるはずだからそいつらがこれから新しい文化を作っていくと思う。

MEGWIN辞めてほしくないぜMAJIDE


自分は何だかんだ言ってyoutubeが好きなんだなと思う。今でもそうだがちょっと前までは相当なテレビっ子だった。バラエティーが何チャンで何時で何曜日とか大体覚えていた。テレビ派今でも面白いと思う番組がない事はない。ダーツの旅とかは流石面白いなと思う。だけど最近はバラエティーを見る事も前より少なくなったなと思う。それはテレビが面白くなくなったっていうのもあるけどネットの方が居心地が良くなったんだろうな。ネットだったら自分の見たいものだけ見て適当な所で飛ばすことも出来る。
ラファエルとか一時期面白いかもと思った事もあったんだけどこいつは結局ヒカルと同じ情報商材まがいの事しか出来ねえ奴何だと思った。あそこら辺の人たちを面白いと思う人たちは見ればいいと思うけどあの編集の仕方喋り方全てが自分には合わないと思った。 再生数も多くて金持ちなんだろうけど何かこう心の底から面白いと思えない。全然思いが伝わってこないというか youtubeをビジネスとしてやっているのが分かってしまう。 ビジネスとしてやるのは構わないけどそれを自分は面白いとは思えなかった。自分が本当にいいなぁと思うのはKOHEY
MEGWIN PDR シバターとかかな。 シバターもPDRも自分は心から笑った事がある。何というかこの人たちは喋りが上手い。編集もうまいが今時編集なんて大体同じ結果になってくるとおもう。大体ヒカルなんて字幕がなかったら何言ってんだかわかんないだろ。 そういう所に差が出てくるんだよ。ただ再生数はそいつらの方が上なのでビジネスとしては成功してるんだなと思うしかない。自分には世の中の需要というものがよく分からないなと思う。
MEGWINは登録者が百万人行かないと辞めるみたいだけど登録者が70万人じゃ駄目なのか。それで注目を浴びる作戦なのかもしれないが僕はそんな宣言して欲しくなかった。 このペースでいったらどう考えても百万人は行かないと思う。自分の感覚が世間とズレてるのかもしれないが再生数だけじゃ計れない本当に笑える動画っていうのがあるだろうなと思う。シバターなんか見てると頭の回転早いなと思う。編集もそんなにしなくて自分の語りで攻めている。何故かはじめしゃちょーとかヒカキンとかが売れてしまう狂った世の中だが本当に面白いなと思えるのを見ていこうと思っている。MEGWINとコラボしてた頃のヒカキンはカッコよかったし好きだった。MEGWINもヒカキンもあの変に編集に凝りすぎない動画だったから良かったんだ。その頃は色んなコラボが見れて楽しかった。事務所なんて括りもなかった。UUUMが出来てからyoutubeは変わったって思う人たちは多いと思うけど自分もそう思う。時代を巻き戻す事は出来ないけど昔の動画の方が笑えちゃうんだよな。

スマホゲーの良い所 (プロスピA限定)


スマホのゲームって基本無料で出来るものが多い。それでより強くなりたければ課金してねみたいな感じだ。プロスピAの場合無課金でも十分楽しめる。勿論上位の人たちに勝つのはむりだがあれは金だけでは無く時間が無限に有り余ってないと出来ないのでいくら僕が普段暇だからって永遠に出来るわけじゃないので課金はしなくても良いかなと思っている。
ここで1つ重要なことがあるんだけどスマホのゲームって最初が無料だから勘違いしちゃう人が多いんじゃないかな。普通ゲームってソフトをお金出して買う。無料で配ってたら商売にならないから。当然ソフトを売る。 なのにスマホゲーになると課金制度に怒る人いるよね。じゃあそのゲームは誰が作ってるんだろう。 作ってる人の給料や会社の利益はどこから出るんだろう。 上位の方にいる課金を沢山してくれている人達がいるお陰で僕たちみたいな金がないのが無料でゲームを楽しめるってわけ。 正直このゲームは終わってほしくない。 もうスピリッツがインフレしまくっていいからその分上位陣には課金しまくってプロスピAを支えて欲しい。
さてこのプロスピAはスマホでやる訳でその際気になるのは電池の消費と通信量だと思う。電池の消費についてはこのゲームめちゃくちゃ電池を食う。だからモバイルバッテリーは持ち歩いた方が良いだろうな。ポケモンGOが流行った時もモバイルバッテリーは必須だったみたいだし外でスマホのゲームをやりたいならそれぐらい持っといた方が良いかもしれない。 もう一つ通信量に関しては全然使うとは思わなかった。毎朝電車でやっていても月の通信量の上限に達する事はなかったので体感として通信量は気にする必要は無い。
それからプロスピA限定だがスマホゲーの良い所っていうのは情報が常に更新されていく事だと思うんだ。普通にDSでもプレステでも買ったらその時の情報のままだよね。その時の事を思い出せるという面では情報がそのままでも良いのかもしれない。 だけど野球ゲームという性質上 選手は移籍もするし引退もする。成績も上がったり下がったりする。 つまりプロスピAはリアルのプロ野球を楽しむ事が出来るのだ。コナミはもうプロ野球スピリッツは作ってないみたいだしこのプロスピAだけが野球ゲームを最新でやりたい人には需要がある。 正直言ってもうOB選手も出つくしてインフレしまくっているがこのゲームは続いて欲しい。

東京の住宅街を歩いて分かる事


東京って渋谷とか新宿とか大きい街でも中心部から少し離れるだけでそこには閑静な住宅街が広がっている。 最近はスマホで地図も見れるし情報が沢山あるので中心部から少し離れた隠れ家的なのが外国人にも人気なように思える。
そこで実際住宅街を歩いて分かることはとにかく狭い。商店街でもなんでもまず歩道もない事が多い。 東京自体23区はそんなに広い訳でもないのにそこに人が押し寄せている訳だから狭いっていうのも当然なのだが。。
やっぱり暮らしやすいとか住みやすいってなると確実に道は広い方が良い。千葉県の北西部 464沿いは東京の狭い道に比べたら相当快適だ。 北総線沿線は電車賃はバカみたいに高いがここだけは優れているし印西市が住みやすい街ランキングで上位に来るのも分かる。ただこれ車移動が基本の人は住みやすいって話だと思う。道は広いから当然運転はしやすい。あの東京の狭い路地を見てると車の運転はかなり大変だろうなと思う。 日本でコンパクトカーが流行るのも納得である。
ただ僕はデカイ車に乗りたいのだ。ハマーとかジープとかデカイアメ車に乗りたい。そもそも東京に住んだら車を置く所があるのか。 いやそれ以前に車が買えるだけの金があるのか。
とにかく東京は狭い。トイレも中々無い。 コンビニだって全然貸してくれない所もある。 イタズラされる事が多いんだろうな。。人が多ければそういう心無い奴も必ずいる。
それと千葉だからどこでも広いって訳じゃ無い。僕が良く草刈りに行く八千代の方の住宅街は狭くてイライラする。道が広い場所の傾向としては国道沿いかなと思う。住むとしたら埼玉とかの方も広くて快適なんじゃないかな。ただ殆どの人が東京の近くに住みたがるのは東京に何でもかんでも集まっているから。東京は便利だから。 狭いっていっても車を必要としない生活をするんだったら近くにスーパーでもあれば便利かもしれない。住めば都というようにゴチャゴチャした街並みも居心地が良くなるかもしれない。 実際僕は狭い道もそんなに嫌いじゃない。 ただそういう所を歩いていると こんなんじゃ車乗れないよなと思ってしまう。
結論としては東京は車を持ちにくいと思う。

youtubeでは飯を食う動画が多い


ユーチューバーというのも何かブームが1回過ぎた気がする。youtubeでは内容が全く無い動画が多い。それで良いのだがそれに比べて編集技術は相当な物だなと思う。 僕はyoutubeは編集が上手い人が生き残っていく世界だと思っている。どれだけ良い映像を撮っても編集でどう見せるかにかかっている。もっといえば編集が上手ければそれなりの映像になる訳だ。 視聴者っていうのは想像力豊かだから勝手に想像してくれる。 ただ自分達が面白くて映像を作るのが好きだからやっている人達も少なからずいる。
元々youtubeに動画を投稿する様な奴はそういう動画作りが好きで収入とかは考えてなかったんじゃないかな。 勿論金が入るならその方が良いし広告が付いているからってイライラする事もなくなった。 そもそも無料で見られるyoutubeに広告が付いてなかったらそれこそどうやって運営しているのかって訳だ。
動画を作るのが好きなんだなと思うのは昔のメグウィンだな。 それが今ではどうだろう。再生数も少ないし最近 出てきた料理を作ったり飯を食うだけの何の面白みもない連中に抜かされてしまった。 それは今のメグウィンが面白く無くなって企業案件とか飯を食ったりが多くてマンネリしてるのとライバルが多い事もあると思う。 今まではライバルがいなかったしやっぱりメグウィンは面白かった。youtubeという存在がまだ知られていない時代にバカみたいに体を張るなんてそうそう出来る事じゃない。
では何故飯を食う動画が多いのか再生数が多いのか 料理をするのが人気なのか。 もうそれは自分がやってる気になれるというのと食欲が刺激されるからだと思う。 焼肉を食うのが流行ったのもただ熱した鉄球を氷の上に乗せるのが流行ったのも全ては自分がそれをやってみたいけどやるには面倒だしいつも焼肉を食べれる訳ではないからだ。 ユーチューバーが楽だと思ってる奴もいるかもしれないが毎日動画は撮らなきゃいけないし面白い編集もしなくちゃいけない。 それが好きでやってる奴なんかは天職なんだろうが毎日そんなにネタがある訳はない。
そういう意味ではヒカキンはクソ面白くもないが毎日毎日動画を上げているのは凄えなと思う。 この先も変わらないと思うこれからのyoutubeの動画は 飯を食う。 料理をする。 実験をする。 試してみる。 下ネタ系 可愛い女の子 でさほど構成されているはずだ。
人間の三大欲求は食欲 睡眠欲 性欲なのでこれらが関係する動画は編集が上手かったりセンスがあれば伸びる事になっている。
僕は映像を作るのが好きではないのでユーチューバーになる事はないと思うが最近の小学生がyoutubeを見るのも分かる気がする。テレビよりも面白くて自分が見たい物を選択出来るからな。 これからどうなるかは分からないがyoutubeが無くなることはそうそう無いだろう。

おいしいラーメン二郎の条件

僕は結構ラーメン二郎 インスパイア系を食べてきた。youtubeでやってる人やブログなんかで見てるとめちゃくちゃ食べまくっている人もいてその人たちには及ばないけど ラーメン二郎を食べてきて分かった事がある。
おいしいラーメン二郎とはどういうものなのかという事である。もちろんこれには個人差があるし自分が美味いと思っても全然美味しくないという人もいる。 もうこれは常々思っているが豚の餌というのは分かった。 そんなに嫌いなら関わるなと思う。 ただ自分も食べていてあの二郎独特の何とも言えない気持ち悪さは客が作り出しているなと思う。 僕はラーメン二郎が気持ち悪いとは思っていない。 もっとラーメン二郎っていうのは自由であるべきなんだ。 不味いものは不味いし美味いものは美味い それは正直に言っていい。ただそれを食ってる奴をバカにするのだけはまあやめた方がいい。その人も自分が食べたいものを食べる自由があるからね。
僕が思うおいしい二郎の条件だがまず麺が硬めという事。 これはラーメンに限らずうどん そばでもそうなのだが麺が柔らかくていい事がなどあるのだろうか。 もちろん柔らかいのが好きな人がいてもいいと思うのだが、、二郎でも柔らかすぎる麺を食った事があるがあれはラーメンではなくきっと他の食い物だったのだろう。そう思うようにしている。 あと麺は粉っぽさがない事。 小麦粉感というか粉っぽい麺は好みじゃない。 これはあのハスミ(予測変換じゃ出てこない)でもそう感じた。あの店チャーシューはまあまあ美味い が麺が圧倒的に小麦粉を食ってる感じしかしなかった。あれでは麺ではなく粉を食ってる感じしかしなかった。新代田でも同じような麺だった。つまり僕はこの太すぎる麺にはついていけなかったのだ。
スープについても乳化とか非乳化というのがある。 どちらかといえば非乳化の方が好きかな。それで豚のダシが出ていれば美味い。化調が入ってる事などジロリアンなら誰だって分かってる。それに文句をつけるのは初めからおかしいということで。。そもそも化調とオーション 塩分でうまくしてるのが二郎なんだ。それが合わない人は最初から二郎には合わない。 粉っぽさがなくてスープに豚のダシが感じられてチャーシューも柔らかく味がしみていればおいしいラーメン二郎といえる。
ラーメン二郎は人気なだけに店主が体調を崩す事もあるみたいだ。二郎の掟として店主が厨房にいないで営業する事は出来ないみたいだしあれだけの行列なのだから相当忙しいだろう。
もうちょっと早く色んな店の二郎を食べておけば良かったと後悔している。 赤羽店は食べようと思って行った時にはもう休業状態でその後店主の体調が良くないという事で閉店となった。高田馬場店も同様に閉店してしまった。高田馬場は山芋が入っていたり崩し豚が入ってたりしてうまかったらしい。 僕は両方とも行こうとした時にはもう閉店してしまっていた。ラーメン二郎は一期一会なんだ。もう会えない二郎だってある。 一度食べただけで全てを理解する事は出来ない。物事は一つの方向から見ただけでは分からない事も多い。 ラーメン二郎にはまだまだ多くの魅力が隠されている。

人を殺してはいけない理由


人を殺しても罪に問われなかったら人は人を殺すのだろうか。 まず間違いなく殺人は増える。そして殺された人の家族とか仲間の復習も増えるだろう。 そうしてる内に人を殺した奴は殺されるという仕組みが出来上がる。 まあ行ってしまえばそれが法律なんだろう。 何故人を殺してはいけないかといえば もし人を殺しても良いという事になれば社会は成り立たないからだろう。 常にいつか殺されるんじゃないかという恐怖が付きまとう事になる。
人を殺してはいけない理由は沢山あるはずだ。まず自分が殺されるのが嫌だとか家族や大切な人達が殺されないためだとか そういう理由を上げていくとじゃあ家族もいなくて孤独で自分が死んでも良い人間なら人を殺しても良いのかという事になる。 もちろん表面的というか社会のルール 法律としてそんな事してはいけない。
しかし自分が死ぬ事も恐れない殺人鬼を止める事など出来るのだろうか。 多くの殺人鬼がそうであるように世の中 常識じゃ計れない狂ったやつらが沢山いる。 通常の人間ならそもそも人を殺す事など恐怖で出来ない。 もし今人を刺し殺せと言われてもさほどの人は刺す事など出来ないだろう。 人間にはそういう当たり前の感情とか人の痛みを思いやれる優しさみたいなのがあるはずなんだ。 人を殺してはいけない理由なんてない 法律では駄目なものは駄目といっているだけともいえる。 ただ人は人を殺しても耐えられるように出来てないはずなんだ。
だから戦争ってのは異常で まして銃や兵器で殺すとなったら命の重さが全然分からなくなる。
人々が当然のように持ってる優しさを全く持ってない人間がいるというのも事実であると思う。 それは洗脳されてたり自分なりの信条があって死ぬ事が全然怖くないやつらも含まれる。 そういう奴らを罰する事は出来る。
社会から隔離して安全にする。ただそいつらの犯罪を未然に防ぐ事など誰にも出来ない。それがテロって事だ。テロを未然に防ぐなんてほぼ無理だと思ってる。
よく動物は殺しても良いのか と怒る人もいるけどその答えとしては動物と人間の命の価値は違うというしかない。 youtubeで狩猟する動画を見るのだがそのコメント欄は結構色んな意見がある。 最近は動物が可哀想だろーというのは収束してきて生き物に感謝して食べようという流れになってきている気がする。 それはまあ良い事だと思うんだが僕は人間とそれ以外の生き物には明確に命の価値に差があると思っている。
実際に僕が思っているだけではなく全ての人間が無意識に命の価値に差をつけている。 それはしょうがない事である。 だって猫は可愛いしゴキブリは汚ねえもん。
ベジタリアンの人は沢山いると思うがその人たちと絶対合わねえなと思うのは お前らも命の差を付けているのに酷い殺され方をした動物は食べたくないとかいうのである。酷くても酷くなくても殺してる事に変わりはない。蚊だって何の感情もなく殺すだろう。
人は動物と違って人同士話し合える。だから普通の人は人を殺す事など出来ない。それを信じている。