時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

武力なくして平和は維持されない。


武力なくして平和は維持されないっていうのが僕の考え方。
というか現実問題武力が無くて安全に生きていけるだろうか。自衛隊なんか要らないという平和主義者達はよく考えて欲しい。
僕には現実が全く見えてないように思えてならない。
普段から日本を守ってくれていて災害の時も1番助けてくれているのに税金泥棒とか酷すぎないか。 その自衛隊員の気持ちを考えられていない。
日本人が日本を守って何が悪いんだ。 個別的自衛権が認められるのは当然の事だろう。
そして憲法9条があるから日本が平和だというのは間違っている。
日本が平和なのは自衛隊と米軍がいるからだ。
この考えって右翼よりなのかな。
僕も話し合いで解決出来るものなら話し合えば良いと思う。
だけど北朝鮮が話の通じる国じゃないってことは分かっている。
力には力が正しいのかは分からない。ただ話し合いで解決すればいいなんて理想論に過ぎない。
例えば家族どうしでも分かり合えない事はある。友だちどうしでも それが国どうしになるんだから人間なんて分かり合えるはすがない。
人類の歴史は戦争の歴史というがそれは当然のこと。
平和とはどちらも相手を攻撃した時の不利益を知っている状態になる事だろう。
今のところ北朝鮮もそれが一様分かっているみたいだ。
この考えがいきすぎると核武装しようという考えになるのだろう。
僕は核武装には反対ではあるが。
まあ僕が反対しようが賛成しようが日本が核を持つ事はないと思うが。。
核を持っていい国と持ってはいけない国もというのも強い国が決めたルールだ。
だから不平等ではある。
核はその力が強すぎるため抑止論になるのだろうか。
強すぎる力は抑止にはならないと思う。自分も相手も失うものが多すぎる。
ただアメリカもロシアも核を捨てることは出来ないみたいだ。
核を捨てると立場的に弱くなってしまうからね。

沖縄に関係ない人たち


この写真というものがもつ情報量の多さに感動している。文章をいくら書いても人は一枚の写真で印象を変える事が出来るんじゃないかと思う程だ。
この写真を見ると沖縄の米軍基地の問題の事を話そうという風に思えるよな。 まあそんな所なんだけど 沖縄にたまに旅行に行くぐらいのひとは沖縄の米軍基地の問題を真剣に考える事は出来ないと思う。
沖縄に関係ない人は沖縄がいくら犠牲になろうが関係ない所に住んでる自分は関係ないという思考に無意識になってるはずだ。
これは僕でさえ沖縄には住んでないので沖縄の人たちがどれほどの思いなのかは分からない。ただ話を聞く限り米軍基地反対の人が多いみたいだ。
テレビなんかでも全然報道しないし大体この問題に対してはやっぱり何が真実かっていうのが分からない。 何にも信じられない状態が長くて続いてる状況だと思う。
ただ同時に沖縄には米軍基地がなければならない必要性も感じている。
もし沖縄に米軍基地が無かったらどうなると思う。あっというまに中国に侵略されるだろう。幸福何とか党はやばい宗教だがこの考えだけは正しいと感じる。
沖縄というのはアメリカからみても中間地点として非常に良い場所にある。
自分の考え方として沖縄に米軍基地が無いのは困るし 実際に沖縄が身近な人間としてはかなり複雑である。
だから僕はもういつまでもアメリカに守ってもらってるというのは古いと思ってる。
中には平和主義を訴えるだけで平和が保たれてると思っている人もいるかもしれないが僕は平和とは武力無くして実現するものではないと思ってる。
自衛隊は要らないという人には良く考えてみて欲しい。日本を守ってるのは自衛隊と米軍だろう。それは揺るぎない事実なはずだ。
その事実に目を背けて憲法9条があるから平和なんだというのはおかしいと思う。
沖縄には米軍基地があるという影響もあって結構アメリカの文化もある。 まず沖縄には自転車がかなり少ない。
圧倒的な車社会なのだ。
あのポークもアメリカからの影響。ポークってスパムだけじゃないんだぜ。 沖縄にはチューリップっていう名前のポークが多く売っている。
沖縄に住んでいる人からすれば米軍基地の規模を縮小して欲しいというのが大半だと思う。
米軍基地で働いている人以外はそういう意見が多いんじゃないかな。
ただ現状沖縄県より国の方が優位な立場で交渉している。 国もアメリカに逆らっては生きていけないという事でそうなっている。
だからこそもう自衛隊ではなく日本軍にしても良いと思ってる。

想像してごらん広告のない世界を


ネットを使っていればどこに行っても広告というのはついてくる。 使っている側からすれば広告はウザいだけだ。
もし広告がない世界だったらどうなってるんだろう。 そもそも広告がなければ検索エンジンも収入がないという事になる。そういえばテレビだってラジオだってネットも新聞も広告というのが存在する。
考えてみれば当たり前の事で何かコンテンツを作るとなればそれは人がやってるという事だ。 新聞だって人が作ってる。
ネットに慣れてくると画面の向こうに人なんていいないように錯覚してしまうんだろうか。だから絵を無料で書いてくれというような事態になってしまうんだ。
TwitterFacebookスマホのゲームもそれを管理して仕事している人がいるから成り立つんだ。
こちらはそれを無料で使わせてもらっている立場という事を忘れてはならないとおもう。youtubeだってそれを無料で見させてもらっているというスタンスで良いと思う。 それに文句をいうこも視聴者の自由とも言えるので横からとやかくいう事ではないがあんまり好きじゃないな。
だからもし広告が出てきてもイライラなんかしないで俺が見てやってるんだから成り立ってるんだぐらいの気持ちでいれば良いだろう。
それで気に入ったらクリックでもしてやればいい。
中には物凄くウザい広告というのもある。どこまで行ってもついてくるスマホ特有の奴は僕でも嫌気がする。
それが個人でやってるブログだったら広告をつけまくるというのそのブログの価値を下げているというのに他ならない。 良いものを書いてたとしても欲がですぎると折角良いものを自ら破壊してしまってるように見える。
結局どんなに広告がウザくてもそのコンテンツが魅力的だったら見る人が多いっていう事だ。見る人が多いって事はそれだけ儲かる。だからいつまでもウザい広告が消えないんだろうな。

ただそのサイトに行くとなぜか戻れないというサイトだけはイラっとくる。あれはどういう仕組みでやってるのかな。 完全にユーザーを馬鹿にしてるだろう。

過剰な広告はどうかと思うが普通の広告なら資本主義である以上当たり前の事で広告が無くなる事など無い。
だからもうイライラしたりせずに大らかな気持ちを持つ事だ。
広告とは関係ないが大らかな気持ちを持って欲しいっていうのは飲食店とかコンビニとかのサービスがいき過ぎているって思う。
店に入ってすぐに店員が来なくたって良いじゃないか。 接客がもっと雑でも何にも思わない。
自分がお客様という事は忘れた方が良い。
店員と客というのは対等な立場なんだ。
お金を払って店員はそれに対してただ仕事をするだけで過剰なサービスはする必要はないと思う。
相手の立場に立つ事が出来れば広告にイライラする事もないだろう。

このブログではアフィリエイトが出来ない


ブログ 稼ぐで検索するとやり方がたくさん出てくる。稼ぐ方法を紹介するのが1番稼げるというのは金に興味のない人なんていないからということなのだろう。
その中でも1番の王道はアフィリエイトだろう。アフィリエイトは成功型報酬。
つまり何か商品を紹介してそれを買ってくれる人がいれば報酬が手に入るというものだ。 これでかなり稼いでいる人もいるみたいだ。
最初やろうとしたけど何でもない素人が紹介した商品なんて誰が買うんだろうか。そもそも人に紹介したい商品なんてない。
アフィリエイトはブログで稼ぐ方法の定番なんだろうけどこれをやるのはブログの文章の配置を気を使わなきゃいけないと思う。
あくまで文章の配置なんだ。文章が上手いかどうかは当然あるけどどれくらい自然に紹介出来るかって所だと思う。
このブログももっと読んでくれる人が増えたらアフィリエイトも出来るかもしれない。今やっても虚しすぎるだけだろ。
そこで僕はクリック型報酬の広告をとりあえず貼ることにした。 今 貼ってるのは忍者アドマックスというやつだ。
これは恐らく1番簡単に貼れる広告でその分単価も安い。 本当はGoogleアドセンスを貼りたいんだけど今はもう独自ドメインじゃないと許可が出ないみたいだ。
ブログで色々稼ぐ方法ってあるけどやっぱりまずは更新し続けることが1番大事だと思う。
更新しないと何にも始まらない。
あと文字数もあんまり短すぎるのは駄目だろう。 僕は自分が書きたい事しか書かないから検索せれてるキーワードを考えて文章に入れることはしない。
とはいってもTwitterレベルの短かさのブログではどうしようもないだろうと思うわけ。
そもそもこのスタイルでは人に何かを紹介するようなものでもない。
結局今できるのは独自ドメインじゃなくても出来るクリック型の広告を張るだけだ。
もう少しこのブログが成長してきたらmedi8 という広告を張っていければ良いと思ってる。
これなら忍者アドマックスよりも収益が良くてそんなに規制もないみたいだ。
独自ドメインを取得する面倒を考えたらこのまま適当にダラダラ ブログを続けていければ良いなと思ってる。 無料ブログは突然無くなる危険があるなんて言われるけどはてなブログが無くなることはよほどの事がない限り大丈夫だろう。
利用者も多いし儲かってるんだろうしな。

テレビには悪意がある


Twitterを見てるとテレビのニュースが悪意のある編集をして嘘をついているというのをよく見る。
これどちらが本当かは分からないが取材された本人のTwitterの発言だったらその本人の方が真実を言ってるんだろうと思う。
正直言って自分は今までテレビは無条件で信じてしまっていた。だけどTwitterによくいる本当の事を知ってるマンの情報だとテレビの方が嘘をついてる事が多いようだ。
このネットの発言も本当かは分からない。つまり今の時代誰を信じて良いかなんてのがもはや分からないのである。
ニュースに関しては真実が分からないので話半分で聞くしかない。 ただよくある素人に対してのインタビューでもかなり悪意のある編集をしてるみたいだ。 取材を受けた本人が良くTwitterで発言しているのを見る。
その本人が嘘をついているという状況もない事はないがこれだけ発言を捻じ曲げた報道ばかりされるとテレビに対する不信感は募るばかりだ。
地下アイドルがファンと一対一で会うと報道されたが本人はそんな事はありえないと言っている。
教師が生徒に飛び降りろと言ったというがそれも一部を切り取っただけで全く意味が違う趣旨の発言だった。 さらにはテレビ局に貸したものは帰ってこないという。。
結局こんな報道ばかりしてたら若者はますますテレビから離れるばかりだろう。そもそもこれは誰が得をしているのだろうか。
テレビしか見ていない老人だったら騙せるだろう。しかし今の時代老人もネットを使いこなしている。テレビは本当の事を言わないメディアというのは定着してしまっているだろう。
新聞もまた同じようにだ。
何故テレビがこんなに嘘をつくのか。 僕には視聴者が喜ぶような事を作り出している気がしてならない。 人間は結構 残酷な事を期待している生き物だと思う。
地下アイドルは酷い待遇であって欲しいし、狂った教師が見て見たい人たちがいるんだろうな。
それが今のテレビを作っている連中だよ。奴らにとっては真実を追求する事よりも視聴者が望んでいる事を作る方が優先らしい。
僕が思うのはテレビも新聞もネットも無条件に信じてしまってはいけないという事だ。そこには悪意のある奴がいる。
人は信じたいものを信じるものだがやはり視聴者が知りたいのはただ真実という事だ。テレビを作っている人には是非本当の事を伝えて欲しい。

SNSの写真は一部を切り取っている。


ネット上には沢山情報がある。使う側はその情報が嘘か本当かを見極めなきゃいけない。特にTwitterには私だけが知ってる真実だぞ が多すぎる。実際それが正しい事も多いと思うけどそこら辺の見極めって中々難しいなぁと思うのである。 TwitterでもFacebookでも写真が沢山載せられてる。 僕はその写真を見てるとつい自然に色んなことを推測というか想像してしまう訳だ。この人はこんな人だなとかいうのをただの思い込みなのに自分の中で印象をつけてしまう。 これはTwitterやってる人は殆んどそうだと思う。絶対無意識にやってるはず。実際あった事も無いくせにその人が何を好きなのかいつも見てる関係性なら分かってしまうはずだ。
別にこれはTwitterを楽しんでる訳だから良いんだけどどんなに写真を見たり呟きを見てもその人のことは全く分からないのだから会うのは危険だという事だ。 もう大人なら自己責任と言えば自己責任だが僕は知らない人と会う気などあるはずかない。
そのSNSの写真だが例えば高級時計や高級な車を持ってる人がいるとやっぱり嫉妬してしまうがそれを手に入れるにはその本人は写真では分からない苦労をしてるんだろうなという事である。 最近見てると高級時計をやたらと買う学生が多いようだがそんなにローン組んで大丈夫なのかね。 むしろ家が物凄い金持ちとかの方が安心するんだよな。 これは僕の考えだが時計をローン組んで買うのはあんまり良い方法じゎないと思う。なんかローン払い終わったら売ってあまり金掛からないみたいな考えあるみたいだけど基本的に高級時計ってなくても生きていけるからね。無理して買ってSNSにあげるのはそれこそただ一部を切り取ってるだけで その後金を払わなくちゃいけない訳だからね。 無理な買い物はしない方が良いんじゃないかな。
勿論本人が楽しいかどうかが1番だからローン組んで買っても構わないが僕はそういう見栄の張り方はしたくないなと思う。ましてやノリや勢いで買うものでもないと思ってる。
SNSだけじゃなくてテレビでも色んな場所や物が映されるわけだけど僕はそれを画面を通して見る時は凄いワクワク出来るんだけど実際に見て見るとどんなものでも なんだ あんまり楽しくねえなとなってしまう。 たぶんそれはその先どうせ買うことが出来ないっていうのが分かってしまっているからだと思う。
そういう意味では学生で高い時計や車買ってる人が羨ましいのかな。

天才は2ちゃんねるとラジオにいる


世の中生まれ持った能力が違うんだなと思う天才がいる。 世に出て行くタイプの天才もいるが顔も名前も知られていない天才がこの世の中いると思う。 まず僕は色んな人が使う言葉を残す人って天才だと思う。 例えば2ちゃんとかでもコピペになるような言い回しとかってあるけどそういうのを生み出した人こそ真の天才だと思っている。 特に昔から2ちゃんに書き込んでる人には能力が高い人が多いように思える。人生を楽しんでる天才が多い。色んなネタを考えたり言葉のセンスが抜群なんだよな。 2ちゃんにいる人が全員そういうわけではない。 特に最近の小学生なんかだとそういうネタというのが通じない気がする。何でも真剣にとらえちゃってクレームの嵐だ。 正に嘘を嘘と見抜けない人にはネットを使うのは難しいって言葉が当てはまる。昔から2ちゃんやっていてセンスがいい人達って国語の成績とかも良かったんじゃないかなと思う。決して世の中に出るような人じゃないけど天才だと思う。 それってもう文化を作っているっていっても良いんじゃないかな。天才とバカは紙一重っていうけどさswitch詐欺にあっちゃう人は本当にただのバカって事だよ。あったこともない人を信じるなんて皆んなが優しいと思い込んでるのかね。
僕が天才だと思ってる人たちはネットにはネタで面白いこと書き込むし詐欺にも騙されないと思う。 やっぱりそこで何か言葉では言えないけど見抜く力があるんだろうね。
ラジオにも文化を作ってきた天才っていうのがいる。あまりにも凄い人は放送作家になる人もいる。もうそうなると天才なんだけどそれは仕事になっちゃうんだな。 ハガキ職人っていうのは自分たちが楽しいからやるんだろう。面白いことは楽しまなきゃ出てこない。もっといえぼ面白くなくてもいいやと思わないと面白さに繋がらないと思うんだ。笑いのツボって色んなのがあるけど天才は面白くしようと努力なんかしない。 だって楽しむのがもう面白いんだから。
ラジオも2ちゃんも何故か5、6年前が面白くてそれのコピペとか使い回しで今やっていってる感じがする。 これからの若い世代にもセンスある奴はいるはずだからそいつらがこれから新しい文化を作っていくと思う。