時計からラーメン二郎まで

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人を殺してはいけない理由


人を殺しても罪に問われなかったら人は人を殺すのだろうか。 まず間違いなく殺人は増える。そして殺された人の家族とか仲間の復習も増えるだろう。 そうしてる内に人を殺した奴は殺されるという仕組みが出来上がる。 まあ行ってしまえばそれが法律なんだろう。 何故人を殺してはいけないかといえば もし人を殺しても良いという事になれば社会は成り立たないからだろう。 常にいつか殺されるんじゃないかという恐怖が付きまとう事になる。
人を殺してはいけない理由は沢山あるはずだ。まず自分が殺されるのが嫌だとか家族や大切な人達が殺されないためだとか そういう理由を上げていくとじゃあ家族もいなくて孤独で自分が死んでも良い人間なら人を殺しても良いのかという事になる。 もちろん表面的というか社会のルール 法律としてそんな事してはいけない。
しかし自分が死ぬ事も恐れない殺人鬼を止める事など出来るのだろうか。 多くの殺人鬼がそうであるように世の中 常識じゃ計れない狂ったやつらが沢山いる。 通常の人間ならそもそも人を殺す事など恐怖で出来ない。 もし今人を刺し殺せと言われてもさほどの人は刺す事など出来ないだろう。 人間にはそういう当たり前の感情とか人の痛みを思いやれる優しさみたいなのがあるはずなんだ。 人を殺してはいけない理由なんてない 法律では駄目なものは駄目といっているだけともいえる。 ただ人は人を殺しても耐えられるように出来てないはずなんだ。
だから戦争ってのは異常で まして銃や兵器で殺すとなったら命の重さが全然分からなくなる。
人々が当然のように持ってる優しさを全く持ってない人間がいるというのも事実であると思う。 それは洗脳されてたり自分なりの信条があって死ぬ事が全然怖くないやつらも含まれる。 そういう奴らを罰する事は出来る。
社会から隔離して安全にする。ただそいつらの犯罪を未然に防ぐ事など誰にも出来ない。それがテロって事だ。テロを未然に防ぐなんてほぼ無理だと思ってる。
よく動物は殺しても良いのか と怒る人もいるけどその答えとしては動物と人間の命の価値は違うというしかない。 youtubeで狩猟する動画を見るのだがそのコメント欄は結構色んな意見がある。 最近は動物が可哀想だろーというのは収束してきて生き物に感謝して食べようという流れになってきている気がする。 それはまあ良い事だと思うんだが僕は人間とそれ以外の生き物には明確に命の価値に差があると思っている。
実際に僕が思っているだけではなく全ての人間が無意識に命の価値に差をつけている。 それはしょうがない事である。 だって猫は可愛いしゴキブリは汚ねえもん。
ベジタリアンの人は沢山いると思うがその人たちと絶対合わねえなと思うのは お前らも命の差を付けているのに酷い殺され方をした動物は食べたくないとかいうのである。酷くても酷くなくても殺してる事に変わりはない。蚊だって何の感情もなく殺すだろう。
人は動物と違って人同士話し合える。だから普通の人は人を殺す事など出来ない。それを信じている。