時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

ベジタリアンの異常性

僕は生まれてから肉を食べるという食文化だったからベジタリアンと聞くとどうしても理解できない。 世の中色々な考えがありそれを全て理解しろという風が無理なのでベジタリアンが普通だと考えてる人がいても別にどうという事はない。 多分あちら側からみたら生き物を殺し肉を食べてる人達 (日本では大半じゃねえかな)の方が残酷で異常に見える事だろう。だからといって食肉工場でデモを起こすタイプのベジタリアンは共存していくつもりがないと見える。僕はベジタリアンを異常だと思ってるし実際その事について話し合っても互いに理解しあえる訳がない。食の事以外だったら話が合う人もいるかもしれない。 今は食の話という事で。。
互いに理解しあえない事を分かっているからこそベジタリアンを潰そうとなんてしない。お互いほっとけばいいものを。全てのベジタリアンではないが頭のおかしい奴多いだろベジタリアンの中には。
僕が唯一理解出来るタイプのベジタリアンは体調の面で肉や魚を食べないという事だ。食べると気持ち悪くなったり体に異常が出るならそれは食べない方が良いだろうな。 それ以外の理由で食べないという人たちは自分の意思で食べないという事だよな。自分の考えなのか宗教上の理由なのか体調が良くなるからそうしてるのか。 理解できないからといって憎しみ合うべきでは無いとは思っている。
1番多いのは生き物を殺したくないってやつだろうな。宗教上の理由ってのも大半はそこに入ってくると思う。僕は高校がキリスト系の学校のだったんだけど聖書のなかにも自分が良いなと思う事もあった。だけど聖書に書いてあるからってそれが正解っていうのはなっとく出来なかった。理由もなく書いてあるからってだけなのが宗教なんだろうな。だから0か100かではないっていう言葉は結構好きだったな。
キリスト教の話なんかどうでもいいわけで生き物を殺したくないから肉や魚を食べない奴が多いけど人間生きてる限り何かしらの生命を奪って生きてるんだよ。それを否定する事は出来ないはず。野菜が生きてるかどうかは分からないがそこに人間がいる限り食わなければ生きてはいけない。野菜があればそこには虫だっている。無意識のうち気づかないうちに虫だって殺してるはずだ。 そもそも何故肉や魚 野菜 を分けたりフルーツは良かったり 卵は良かったりするのだろう。リンゴはリンゴを取ってもリンゴの木は死なないから良いらしい。卵はまだ生き物じゃないから良いらしい。完全なヴィーガンは卵も駄目だけど。 そう何故食べても良いものと食べては駄目なものを分けているかというとそこに命の価値を勝手につけてるんだ。牛はかわいそうだから殺しちゃだめでネズミとか虫とかは殺しても良いわけだ。 僕自身命の価値を人が付けるのはこれは自然な事だと思ってる。でなければ何故人は人を殺してはいけないのかという状況になってしまう。牛は殺しても人を殺してはいけない理由はそれは牛と人の命では価値が全く違うからって事を認めざるを得ないだろう。
そう考えるとベジタリアンが食べられるものと食べられないものを分けているのも人間的に自然な事なのかもしれない。