時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

結婚したいか?

考え方というのはその時々でどんどん変わっていくもので時間が経ち環境が変われば それは過去の自分であって もう今の自分とは他人なのだろう。


そういうわけで今の考えでいうと自分は結婚したいというのが無い。

相手が居ないんだろう 負け惜しみか? などという 心無い意見は置いといて なんかめんどくさいなと思うのである。

実際 相手がいないのは事実。


そもそも誤解されても別に良いのだが 自分はまずゲイ ではない。

ゲイである事を恥ずかしいと思うという事は全くないだろうが 何故か 彼女がいないと お前はゲイなのか などといじられたりする。


こういう出来事があると 普通に 付き合って普通に結婚して普通に子供を作るのが当たり前な人はどれくらいいるのだろうと思う。


男も女も好きじゃないって人いないのかな。

興味がないっていうとカッコつけてるみたいで嫌だけど なんていうのかな
全てにおいて人と深く関わるっていうのはめんどくさいし疲れるんだ。

いわゆる彼女が出来ない 人がバカにされるのには それだけ魅力がない人ということなのだろうが
逆にいうと何故 世間の普通の人間というのはそんなに魅力に溢れているのだろう。


普通に生きていればパートナーなんて簡単に出来るよね。 出来ない人は問題があるんだよって言われたことはよくある。


それと私 自分より背が低い人は無理〜 と面と向かって言われたが それを本人に言ってどうすんだよ。。

悲しくなるだけじゃねえか。

何にも生み出さねえよ。

そうやって自分は性的に優れているんだ お前よりは上だと散々言われて 俺は疲れてしまった。


そんな場合 反論しても無意味だった。


俺の場合 自分でいうのも何だが顔はそんなに悪くないはず。

男の場合 背も大事な要素だが まあ160 ちょっとしかない。

これはもう変えられないのでどうしようもない。

どうしようもない故に幼少期より様々な 言われ方をして来た。

同じような境遇の人なら分かると思うがこれは案外堪えるものである。

そして何より1番まずいのは人と目を合わせられない。

オドオド? している雰囲気らしい。

やっぱり顔云々 よりも背よりも 自身に満ち溢れている人ほど 男らしいし 魅力もあると思う。


批判されるのが怖くて関わらないってのを選択してきたけど この先どうなるんだろうってのが恐怖しかない。


リア充にならなくても良いから理解者が欲しいと思ったのであった。

日常がすり替えた叫びに誰もが気を失う。

最近このアルバムばかり聴いてる気がするんだ。

どっちかというとマイナーな曲が集まっている。 尾崎自身も失敗作と語るようにどうもあの伝説的なシンガーの作った曲じゃないぞと思う。

言ってみれば晩年?の曲たちも聴いてみればやっぱりメロディーが良い。

福山雅治も言ってたよな。

尾崎豊は曲が良いんだって。

自分は音楽の事は全く分からないので好き勝手にいう事にしている。

歌詞の勝手な解釈になるが日々誰もが気を失った状態、、つまり仕事やその他大変な事があって誰も正常な人はいないんだ。

それを皆んなが皆んな隠してるから社会は一見普通の人々で成り立ってるように見えてしまう。

何かが俺と社会とを不調和にしていくけれど前から少しずつ 感じていたことなんだ。

そう歌詞にもあって何で俺だけが感じてるんだろうって思うはずさ。

だけどそれを口に出したところで皆んな否定するんだ。


誰もがそんな事は言わないってお約束でやっているから。

核 (CORE) [アルバム・ヴァージョン]

核 (CORE) [アルバム・ヴァージョン]

  • 尾崎 豊
  • ロック
  • ¥250


太陽の破片

太陽の破片

  • 尾崎 豊
  • ロック
  • ¥250


それからこの時ってヤクは抜けてたのかな。
cold windなんか聞くとやっぱやってる感じするよなと思う。

もしあそこで死ななかったとしてその後あんまりいい感じにはならなかったはず。

歌は好きだけど尾崎豊のそういう所は否定し続けなければならない。

そして自分は尾崎豊 信者にはなりたくない。

ただのファンでいたい。

尾崎が嫌われる要素の1つに信者がウザいというのがある。

信者っていうのは本当にヤバくてその人が何をやっても犯罪者でも もう洗脳みたいなもんだから何でも肯定的になってる。

そんなの抜きにしてさ単純に歌が上手いとか歌詞が好き。 ファンっていうのはそれでいいんだ。

男として大事な事



男らしさという言葉も もうそろそろなくなりつつある言葉だ。

ちょっと前まで男が少女漫画とか子供が見るアニメとか見てると凄い気持ち悪い認定されてた気がするんだ。

今やそんなのも堂々としたもんになった。

自分も意外と少女漫画 好きなので良いかという感じ。


男らしさというのは人によって違うだろうが今回は男らしさよりも男として 女も 人として大事な事についてだ。


本題だが男として最も大事なことは金を払ってAVを見ることである。

これ守れてる野郎が果たして日本に何割いるだろうか。

今や無料で見られるエロ動画というのはネット上に沢山ある。

そういうのを無料だからといって見てる奴が男らしいといえるか?

もはや男らしさ以前の問題で違法であることの認識が足りなさすぎやしないだろうか。


漫画村は批判する癖にxvideoだと声を上げる人は少ない。

エロだったら違法に見ても良いということは一切ない。

無料のエロ動画で喜んでるやつは男らしいとか抜きに三流以下のクズであると言うことは忘れないでもらいたい。

金の流れを正しく受け取るべき人が受け取らなければやがてそれは自分の身にも帰ってくるだろう。


多分違法視聴で逮捕されることはないと思うがこれを見た人は今日からAVは買うかダウンロード レンタル いずれにしても金を払ってみること。

そしてその意味を自分自身でよく考えてみてほしい。


小学生でもスマホを持ってる今の時代だからこそ大人たちが正しい利用を教えなければならない。

野猿 二郎


今日 ラーメン二郎野猿街道店という所に行ってきた。

ネットではしきりに美味いと言われてる店なのでどんなものか食べてみたかった。

確かに不味くはない。。 美味いことは美味いが自分の好みでは無い。

まずにんにくが辛すぎる。 麺が粉っぽい スープがしょっぱすぎるといった所だろうか。


麺が粉っぽいというのは二郎を食う上では当たり前の事かもしれないが自分はそれを感じない方が好きなのだ。

そういう意味でも今までで本当に美味いと思ったのは荻窪 ひばり 以上。

ラーメン二郎というのは自分に合う店を探す事が重要なのだ。

そして俺はなるべく変な客がいるいない所で食べたい。

この店は不思議な力があるのか変な客が集まると思う。

意味不明な動きをするおっさんから馬鹿騒ぎする大学生までおよそ普通の飲食店にはいないであろう人ばかりだ。

一回ハスミ (漢字が出てこないが)に行ったことがあるが麺が太すぎる 粉っぽい およそ人が食うもんじゃねえと思ったことがある。

もちろん人それぞれ味覚は違うのでそれを美味いと思う人がいる事は分かるが あれを食べに行きたいとはあんまり思わなかった。


まだ二郎を食ったことがないという人は是非荻窪の二郎に行ってみるといいと思う。

あそこは多分他の店よりはいかれたヤツも集まりづらいはずだ。

そして何より絶妙なバランスの取れたラーメンだと思う。

結局自分は二郎を食べれば食べるほど荻窪ひばりヶ丘の旨さに気づくのであった。

電車の端っこ


電車の端っこの席。 それは1つの座席に2つしかないという非常に貴重な席であるにも関わらず 多くの人が座りたい 座れたら良いなぁというものである。

時にはそれが原因で醜い争いがある程である。

では何故人々は端っこの席に座りたがるのだろうか。

理由は既に分かってる事であるが、壁に寄りかかれる事 両隣に人がいなくて片方だけ気にすれば良い という事があると思う。


パーソナルスペースというが知らない人が自分のスペースに入ってきたら本能的に嫌だと感じるものみたいだ。

朝の通勤時間帯の始発の電車に乗った事がある人は分かると思うけれどその時の席の取り合い 端っこの取り合いはかなり滑稽なものだ。

自分は初めから座れるはずがないと思ってるので気が楽だが。。


中でも1番気に入らないのは高速スライドしてくる人たちだ。


こっちが座ろうとするとスライドしてきて自分は座れなくなる。

まあ座れなくなるぐらいだったらどうって事ないがあの動きを見ているとイライラしてしまう。

まるで他人の事などどうでも良いかのように見えてしまうのだ。


もしかして自分が座れないからそういう事を思うのかもしれないがとにかく他の人を押しのけてでも座ろうとするその根性が気にくわない。



今 電車に対して人が多すぎるのだ。

自分も出来る事なら満員電車など乗りたくない。

しかし乗る電車が満員電車なのだから仕方ない。

東京の人は冷たいなんていうがみんな疲れてるだけなのだと思う。

自分の事だけで精一杯なのだ。

だからこそ座るべき人に席は譲るべきだし座るべき人はキチンと言葉に出して欲しい。


言葉に出さなければ伝わらない事だと思う。

顔を覚えられたくない



時計が好きな人なら時計屋に行くことも多いと思う。

当然見るのは楽しいのだが問題が1つある。

大体 店員がスタンばってる事である。

店員と楽しく話が出来る人は良いが自分はそんな事はありえない。

全く知らない人と話すのは苦痛でしかないのである。

店の人も仕事だし絶対買わないような若造にも話しかけてくれるのだがそれがどうにも申し訳ない気持ちになる。

あと僕は同じ所に留まってるというのがかなり苦手である。

その理由は店員に顔を覚えられてしまうからだろうと思う。

とにかくもう知ってる人やある程度面識があって仲が良いというのだったら良いのだけれど初対面で いきなり話せない人間なのだ。

よくコミュ障と言われる人たち (僕はその人達は自称してるだけで本当はコミュ障でも何でもないと思ってる) は逆に初対面なら良く話せるという。

自分の事が知られてなくて話しやすいそうだ。

正直言ってそっちの方が良いじゃないかと思った。

今のコミュニケーション至上主義の世の中では初めて会った人とも仲良くしなければならない。

表面上であろうが何だろうがその場を乗り切れればうまくいくことも多いのではないかと思う。

面接というのがそ最たる例だろう。

今僕が何とか人付き合い出来てるのは既に知ってる人としか関わらないからでその既に知ってる状況になるまで何か月はかけてるからであろうと思う。

仕事となると初対面の人と接する機会が格段に増える。

大体皆んな僕に説教してくる事が多い。

それでは社会でやっていけないというのは何度聞いたことだろう。

就職する事も出来ないと言われた事も多い。


説教してくる人が本当に心配してくれているのかそれとも自分は大丈夫って心配したいだけの為に言ってるのかもと かなり捻くれた考えをする事もある。

ただそんな事はどうだってよくて説教してくる人が言ってる事は圧倒的に正しいと言うことなのである。


それから世の中の人たちってほとんどクソまじめに生きてるんだなって事が分かった。


そろそろ人としゃべれるようになっておかないとやべえなと思った次第である。

ただやろうと思ってもそんなにうまくいかないもんなんだな。


若者の物欲

最近の若者は物を欲しがらないと言われる。

最近というが誰から見た最近なのだろう。

簡単に言うと若者は物を欲しがらないのではなく金がなく将来が不安なので物を欲しがらないのだろう。

使える金がいくらでもあったら色んな物を欲しがるに決まっている。

車離れも時計もバックも何でも本当は欲しいけれど普通に働いても買えると言うわけではない事が多い。

僕が見てるTwitter上には若いのに高い時計とか車を持っている人が沢山いる。

若いのに何故そんなに高い時計とか車を買えるのかは分からない。

実際に彼らがどんな手段で稼いでいるのかなどはどうでもいい事だろう。

知ったところで自分にはどうしようもないからだ。

表面上は凄く楽に見えても裏では苦労してるって事が多いんだろうな。

皆んなそれを出さないでTwitterでは良い面だけを見せてるから勘違いする人も出てくるのだろうと思う。

その羨ましいと言う感情がなければ経済も発達していかないのだろう。

人より良いものが欲しいとか自分だけしか持ってないものが欲しいっていうのは本来人間に元々備わっている自然な感情なはずだ。


今の若者はそれがないのではなく 欲しいと思ってもどうせ手の届かない場所にあるからあきらめてしまってるという事が本当に多い。


その年で何をしてないのはおかしいとかまだ若いのに高いものを持ってるとかいうのは人は比べ合う生き物だという事を示している。

無人島で生活するとなった時に高級時計を持っていく人は一体何人いるのだろうか。

恐らく少数だろう。

本当の時計好きや車好きなどと言うことはどうでもいい事だ。

欲しいと思ったら頑張って買うという人が多ければ経済も上向きになる。


人を動かすのは対 人との出来事が大半だろう。


というかそれ以外の事は殆どありえないのか。。


だとしたら人生の目的というのは何なのだろうか。

欲しいものを買ったとしてその先に何があるのだろうか。

多分そんな事を考え出すと人生って楽しくないのだろうと思う。

元々意味なんてないし だけど生きていかなければいけない。

仕事して給料貰って生活するって事を普通の人間だったらやってるみたいなんだ。


これからどうなるんだろうな。。

物欲以前に生きていけるのだろうか。