男として大事な事
ちょっと前まで男が少女漫画とか子供が見るアニメとか見てると凄い気持ち悪い認定されてた気がするんだ。
今やそんなのも堂々としたもんになった。
自分も意外と少女漫画 好きなので良いかという感じ。
男らしさというのは人によって違うだろうが今回は男らしさよりも男として 女も 人として大事な事についてだ。
本題だが男として最も大事なことは金を払ってAVを見ることである。
これ守れてる野郎が果たして日本に何割いるだろうか。
今や無料で見られるエロ動画というのはネット上に沢山ある。
そういうのを無料だからといって見てる奴が男らしいといえるか?
もはや男らしさ以前の問題で違法であることの認識が足りなさすぎやしないだろうか。
漫画村は批判する癖にxvideoだと声を上げる人は少ない。
エロだったら違法に見ても良いということは一切ない。
無料のエロ動画で喜んでるやつは男らしいとか抜きに三流以下のクズであると言うことは忘れないでもらいたい。
金の流れを正しく受け取るべき人が受け取らなければやがてそれは自分の身にも帰ってくるだろう。
多分違法視聴で逮捕されることはないと思うがこれを見た人は今日からAVは買うかダウンロード レンタル いずれにしても金を払ってみること。
そしてその意味を自分自身でよく考えてみてほしい。
小学生でもスマホを持ってる今の時代だからこそ大人たちが正しい利用を教えなければならない。
野猿 二郎
ネットではしきりに美味いと言われてる店なのでどんなものか食べてみたかった。
確かに不味くはない。。 美味いことは美味いが自分の好みでは無い。
まずにんにくが辛すぎる。 麺が粉っぽい スープがしょっぱすぎるといった所だろうか。
麺が粉っぽいというのは二郎を食う上では当たり前の事かもしれないが自分はそれを感じない方が好きなのだ。
そういう意味でも今までで本当に美味いと思ったのは荻窪 ひばり 以上。
ラーメン二郎というのは自分に合う店を探す事が重要なのだ。
そして俺はなるべく変な客がいるいない所で食べたい。
この店は不思議な力があるのか変な客が集まると思う。
意味不明な動きをするおっさんから馬鹿騒ぎする大学生までおよそ普通の飲食店にはいないであろう人ばかりだ。
一回ハスミ (漢字が出てこないが)に行ったことがあるが麺が太すぎる 粉っぽい およそ人が食うもんじゃねえと思ったことがある。
もちろん人それぞれ味覚は違うのでそれを美味いと思う人がいる事は分かるが あれを食べに行きたいとはあんまり思わなかった。
まだ二郎を食ったことがないという人は是非荻窪の二郎に行ってみるといいと思う。
あそこは多分他の店よりはいかれたヤツも集まりづらいはずだ。
そして何より絶妙なバランスの取れたラーメンだと思う。
電車の端っこ
電車の端っこの席。 それは1つの座席に2つしかないという非常に貴重な席であるにも関わらず 多くの人が座りたい 座れたら良いなぁというものである。
時にはそれが原因で醜い争いがある程である。
では何故人々は端っこの席に座りたがるのだろうか。
理由は既に分かってる事であるが、壁に寄りかかれる事 両隣に人がいなくて片方だけ気にすれば良い という事があると思う。
パーソナルスペースというが知らない人が自分のスペースに入ってきたら本能的に嫌だと感じるものみたいだ。
朝の通勤時間帯の始発の電車に乗った事がある人は分かると思うけれどその時の席の取り合い 端っこの取り合いはかなり滑稽なものだ。
自分は初めから座れるはずがないと思ってるので気が楽だが。。
中でも1番気に入らないのは高速スライドしてくる人たちだ。
こっちが座ろうとするとスライドしてきて自分は座れなくなる。
まあ座れなくなるぐらいだったらどうって事ないがあの動きを見ているとイライラしてしまう。
まるで他人の事などどうでも良いかのように見えてしまうのだ。
もしかして自分が座れないからそういう事を思うのかもしれないがとにかく他の人を押しのけてでも座ろうとするその根性が気にくわない。
今 電車に対して人が多すぎるのだ。
自分も出来る事なら満員電車など乗りたくない。
しかし乗る電車が満員電車なのだから仕方ない。
東京の人は冷たいなんていうがみんな疲れてるだけなのだと思う。
自分の事だけで精一杯なのだ。
だからこそ座るべき人に席は譲るべきだし座るべき人はキチンと言葉に出して欲しい。
言葉に出さなければ伝わらない事だと思う。
顔を覚えられたくない
当然見るのは楽しいのだが問題が1つある。
大体 店員がスタンばってる事である。
店員と楽しく話が出来る人は良いが自分はそんな事はありえない。
全く知らない人と話すのは苦痛でしかないのである。
店の人も仕事だし絶対買わないような若造にも話しかけてくれるのだがそれがどうにも申し訳ない気持ちになる。
あと僕は同じ所に留まってるというのがかなり苦手である。
その理由は店員に顔を覚えられてしまうからだろうと思う。
とにかくもう知ってる人やある程度面識があって仲が良いというのだったら良いのだけれど初対面で いきなり話せない人間なのだ。
よくコミュ障と言われる人たち (僕はその人達は自称してるだけで本当はコミュ障でも何でもないと思ってる) は逆に初対面なら良く話せるという。
自分の事が知られてなくて話しやすいそうだ。
正直言ってそっちの方が良いじゃないかと思った。
今のコミュニケーション至上主義の世の中では初めて会った人とも仲良くしなければならない。
表面上であろうが何だろうがその場を乗り切れればうまくいくことも多いのではないかと思う。
面接というのがそ最たる例だろう。
今僕が何とか人付き合い出来てるのは既に知ってる人としか関わらないからでその既に知ってる状況になるまで何か月はかけてるからであろうと思う。
仕事となると初対面の人と接する機会が格段に増える。
大体皆んな僕に説教してくる事が多い。
それでは社会でやっていけないというのは何度聞いたことだろう。
就職する事も出来ないと言われた事も多い。
説教してくる人が本当に心配してくれているのかそれとも自分は大丈夫って心配したいだけの為に言ってるのかもと かなり捻くれた考えをする事もある。
ただそんな事はどうだってよくて説教してくる人が言ってる事は圧倒的に正しいと言うことなのである。
それから世の中の人たちってほとんどクソまじめに生きてるんだなって事が分かった。
そろそろ人としゃべれるようになっておかないとやべえなと思った次第である。
ただやろうと思ってもそんなにうまくいかないもんなんだな。
若者の物欲
最近の若者は物を欲しがらないと言われる。
最近というが誰から見た最近なのだろう。
簡単に言うと若者は物を欲しがらないのではなく金がなく将来が不安なので物を欲しがらないのだろう。
使える金がいくらでもあったら色んな物を欲しがるに決まっている。
車離れも時計もバックも何でも本当は欲しいけれど普通に働いても買えると言うわけではない事が多い。
僕が見てるTwitter上には若いのに高い時計とか車を持っている人が沢山いる。
若いのに何故そんなに高い時計とか車を買えるのかは分からない。
実際に彼らがどんな手段で稼いでいるのかなどはどうでもいい事だろう。
知ったところで自分にはどうしようもないからだ。
表面上は凄く楽に見えても裏では苦労してるって事が多いんだろうな。
皆んなそれを出さないでTwitterでは良い面だけを見せてるから勘違いする人も出てくるのだろうと思う。
その羨ましいと言う感情がなければ経済も発達していかないのだろう。
人より良いものが欲しいとか自分だけしか持ってないものが欲しいっていうのは本来人間に元々備わっている自然な感情なはずだ。
今の若者はそれがないのではなく 欲しいと思ってもどうせ手の届かない場所にあるからあきらめてしまってるという事が本当に多い。
その年で何をしてないのはおかしいとかまだ若いのに高いものを持ってるとかいうのは人は比べ合う生き物だという事を示している。
無人島で生活するとなった時に高級時計を持っていく人は一体何人いるのだろうか。
恐らく少数だろう。
本当の時計好きや車好きなどと言うことはどうでもいい事だ。
欲しいと思ったら頑張って買うという人が多ければ経済も上向きになる。
人を動かすのは対 人との出来事が大半だろう。
というかそれ以外の事は殆どありえないのか。。
だとしたら人生の目的というのは何なのだろうか。
欲しいものを買ったとしてその先に何があるのだろうか。
多分そんな事を考え出すと人生って楽しくないのだろうと思う。
元々意味なんてないし だけど生きていかなければいけない。
仕事して給料貰って生活するって事を普通の人間だったらやってるみたいなんだ。
これからどうなるんだろうな。。
物欲以前に生きていけるのだろうか。
AIに望むこと
実際にターミネーターのような事が将来的にあり得るのだろうか。
タイムマシンの問題は置いといても人工知能が勝手に暴走する事は無いだろうと思う。
このままの科学の発達で行けばそんな事はありえない。
まあ時代が急速に進めばどうなるかは分からないがこのままだったらAIの暴走は人間が管理出来るはずなのでありえない。
実際に僕がAIに期待している事はそんなに先の事ではなくて今 現実で役立って欲しいと思っている。
悪質な コピペ 改変サイトを見つける
アクセス数を稼ぐ為に悪質な記事を書くサイトは多く存在するように思える。
アクセス数が稼げればどんな事を書いても良いのだろうか。
アクセス数が集まるという事はそれだけ魅力的な記事である事は間違いないのではあるが、、。
記事を上手く見させるようにタイトルや写真を工夫する事は大いに結構だと思う。
というかそれこそが上手い技術である。
ただしそれが行き過ぎると過激なタイトルになりありもしないフェイクニュースを書くようになるのだろう。
会社や組織で記事を書くとなるとアクセスが集まらなければ仕事にならないのは分かるが嘘は何にもならないだろうと思う。
この前は医療系のサイトで書いてあることが嘘ばかりで問題になっていた。
僕は嘘では読者はつかないだろうと思っていたけれど意外と文章量とそれっぽい感じでやればかなりアクセスは稼げるみたいだった。
魅力的な文章と嘘は紙一重
アクセスが集まりやすいのはやはりゴシップネタや過激な話 エロい話などだろう。
そういうのはだいたい嘘が多くなる。
そして人はそういう話が大好きなのだと分かる。
AIが発達していけば嘘だけの記事を消していく事はできないだろうか。
もしかしたらテレビもネットも真実が大事なのではなく視聴者が求めるものを作り出しているだけなのかもしれない。
AIだったらそういう状況を壊せるのではないか。
1つのコンテンツが終わる時
物事にはいつか終わるけれどそれが長く続いたもの程終わる時には悲しい気持ちになるものだ。
1度頂点にたったとしても時代に適応しなければやがて廃れていくだろう。
時代が変われば何が淘汰されるか分からない。
AIの出現により必要の無くなる職業は沢山あるだろう。
何と時計修理も将来なくなるであろう職業だった。
今から目指してる自分はどうなるのだろうという感じだが。。
今回そんな事よりも今1つのコンテンツが終わろうとしているという現実がある。
何のことだか分かるだろうか。
そうMEGWIN TV の事だ。
今の小学生にはMEGWINは分かるだろうか。
分かる人は分かると思うが元祖ユーチューバーというべき人だ。
この人がいなければユーチューバーという職業もなかっただろう。
この人がやらなくても誰かがやってたから凄くないと言ってる人もいるけどその誰かがMEGWINなのだから凄いことは凄い。
10年以上動画を作り続けている事も簡単に出来る事ではないだろう。
ただ1つ言える事は今 全く面白くないという事だけだ。
人は変わり続けるし時代も求めるものが変わってきている。
昔のMEGWINが面白かったのは単にショートコントが時代に合っただけのことなんだ。
ファンだから言わせてもらうとMEGWINの人気が落ちたのは周りにライバルが増えすぎたからだと思う。
つまり最初はライバルがいなかったから何をしてもヒットした。
それでもyoutube初期の職業にもなってない時からやっている事実は凄いのだけれどMEGWIN自身にユーチューバーとしての才能はそこまで無いのではないだろうか。
何より喋りが上手くなければならない。
そこそこ喋れるけれど今の最新の動画を見るとただ勢いで押し切るだけの今時流行らないようなものだった。
昔はもっと企画力もあったはずだ。
今の他のユーチューバーがよくやってるプレゼンをしたり街行く女の人に下衆な質問をするのはもうウンザリだ。
そういうのが人気なのは分かる。
MEGWINはそういうのをやる人ではないと思ってた。
だけどこないだ見たら下衆な質問するやつをやっていてかなりガッカリした。
もうこのままやっていてもしょうがないっていうのは自身で言ってたことだし百万人行かなかったら潔く辞めて欲しい。
1つのコンテンツが終わる時が来たのだ。