時計からラーメン二郎まで

自分の好きなこと 思想を書きます。

柏のエネルギー


この前 柏祭りというのに行ってきた。
柏に行くのも久しぶりだったけど普段行く時より予想以上に人が多かった。

車道は通行止めになっていて道路も通れるようになっていたけどいくら道が広くても人が多すぎれば歩けなくなるということが分かった。

それと屋台が歩道側を向いて並んでいるのだが買うためには当然並ぶわけで並ぶとその分スペースがなくなり更に歩けなくなるという悪循環だった。

柏は千葉の渋谷

柏は千葉の渋谷 そう言われる事も多い。
ただ柏と渋谷には明確な違いがある。

渋谷には外国人含め色んな所から人が来ている。
それに比べて柏にはほぼ千葉県民しかいないだろう。 これはただの推測だが千葉県民以外がわざわざ柏に行こうと思わないだろう。
どうせなら東京に行こうと そう思うはずだ。

それから柏は年齢層が低いと感じた。
渋谷でも新宿でも若者からじいさんまで幅広くいるが柏は見た目から見ても中学生から大学生ぐらいの年齢の人が多かった。

柏はいわゆる田舎のヤンキーが生息している。

つまり何が言いたいかというと柏はマイルドヤンキーのいる場所なんだ。

マイルドヤンキーっていうのは地元大好きで何より中学 高校のダチとかいうのを大事にしている ちょっと怖めの方々だ。

大抵 そういう人たちは早く結婚して 若くして子どももいる。
仕事も家族のために一生懸命してる偉い人たちだ。

ただあのノリとかいうのについていくのは無理そうだ。

何というか東京には今言った田舎のヤンキーというのはいない気がする。

田舎ではないので田舎のヤンキーがいないのは当然なのだがそういう意味ではない。

言葉にするのが非常に難しいが地元 が嫌いになった人からすればそういう田舎のヤンキーというのは 言葉は悪いが 地元でしか強くなれない奴らって事になるだろう。

その気持ちは良く分かる。
ただ経験上奴らは良い奴ではある。
こんな表現使いたくないが本当は良い奴なのである。

僕はこれからの日本を支えるのは彼ら 彼女らのような人たちであると思ってる。

子どもがたくさんいてその子どもも大人になれば恐らく親と同じように地元で生活していく人が多いんじゃないかな。

取り敢えず言えることは地方にもエネルギーは沢山あるって事だ。

中学生に白い靴下を履かせる意味が分からねえ


中学生の時靴下は白い靴下と決められていてそれ以外は履いてはいけなかった。
その時からみんな思ってただろう。
何故こんなクソダサい白靴下を履かなければいけないんだろうと。

スーツ 学ランに白靴下は圧倒的に似合わない。

スーツ 学ランには白靴下は絶対似合わないと思う。
もちろん価値観が違うので白靴下大好きな人はスーツに白靴下を合わせても良いが本当にそれで良いのか?
と聞いてみたい。
僕の感覚からすればクソダサい。
これをカッコいいと思うのは小さい頃から白靴下を履くのが普通だったからだと思うが中学生ならまだしもスーツに合わせると何だか間抜けな印象をもってしまう。

今流行りではないが少し前はモデルとかが白い靴下を履いておしゃれみたいな感じでブームになっていた。

凄いイケメンの とか 可愛いモデルが履いてたからまだマシだったのかもしれないがあれを一般人がすれば10年前のヤバイ タイプのオタクになっちまうからな。

ちょいダサが人気なんて言っているがそれはかなりイケメンじゃないと成り立たない。

このレベルだぞ。
一回自分の顔を鏡で確認してから考えた方が良い。

要するに白い靴下っていうのはどうしても子供っぽさが出てしまう。
清潔感という意味では良いのかもしれないがなんか違うんだよなと思う。
意外とこれ言葉で説明するのは難しいのである。

中学生に白靴下を履かせる理由

中学生といっても気持ちは大人だしそれくらいの年齢だとダサくないというのが1番大事だった。
自分の時を思い出してもとにかくカッコよくしたかった。

そもそもこの中学生は白い靴下を履かなければならないというのは誰が決めていたのだろう。

白い靴下にするメリットがどこにあるのだろうか。
僕には1つも思い浮かばない。

これは推測だが大人たちは中学生にまだ子供っぽさを求めているのだろう。
まだ子供だからと教師は完全に舐めている。
これは中学生からしたら屈辱だろうな。

大人になるとみんな子供の時の気持ちを忘れてしまう。
中学生は思ったより大人に近づきたいというのを忘れてはいけないだろう。
教師なら尚更そうだと思う。

というかこれと靴下が白くなければならないというのは関係あるのかな。
マジで誰が決めていて誰の特なのか知りたいぐらいだ。

部活とかでも長い白靴下だとどうしてもダサく見えてしまうのでくるぶしソックスを履く人が結構多かった。

決まりを多くして中学生に子どもを求めるのも結構だがある程度は自由にした方が良いんじゃないかな。

自分が中学生の時を思い出してみればすぐわかるはずだ。

ゴルゴ13は大統領を暗殺する事が出来るのだろうか


ゴルゴ13といえば依頼された任務は100%遂行する超A級スナイパー
ゴルゴが本気で暗殺しようとすれば大統領といえど逃れる事は出来ないというが実際の所どうなのだろうか。

シークレットサービスの警備力

大統領を暗殺するにはシークレットサービスが敵になる。
大統領が移動している時を狙うとなるとビーストを狙撃する事になる訳だがもちろんm16で狙撃してもビーストはビクともしない。
それ以前に狙撃できるポイントは全てシークレットサービスの連中が警備しているので狙撃ポイントは無いといえる。

いくらゴルゴ13といえどシークレットサービスの前では何もする事が出来ないだろう。

最近のゴルゴはやり方が荒っぽいので狙撃など生易しいことではなくミサイルでも打ち込むかもしれない。
もし依頼を受ければそれくらいの事はするだろう。
必ず任務を遂行するはずだ。


ゴルゴ13は依頼を受けない?

大統領ほどの大物に対しての依頼ともなると依頼主の方もどれ程の人物なのかという事が大事になる。
なおゴルゴが敵が強すぎるという理由で依頼を断る事はない。

実際 物語上でも「札束を積んだからといって誰もが世界に手を出す資格は無い」
と語っている。
つまり大統領クラスになると金を持っているというだけではゴルゴに依頼する事さえ出来ないようだ。
恐らくこの依頼は誰が依頼しようとしてもゴルゴ自身が弾いてしまうのではないか。
大統領を暗殺するということは国を敵に回すという事だ。

ゴルゴは米軍と戦っても勝てるのだろうか。
ゴルゴが負けることはないだろうが世界から追われる立場となってしまい他の依頼どころではなくなってしまう。

不可能を可能にすると言われているがゴルゴにも出来ないものは出来ない。

逆にアメリカ側もゴルゴを恐れて捕まえようとはしないだろう。
つまり 両者はお互いなるべく関わり合いになりたくない相手なのだ。
だからゴルゴが依頼を受けることはないだろう。

声優のアイドル化


最近 声優がアイドル化してきていると思う。
女の声優は可愛くないとやっていけないし男もイケメンの方が良いだろう。
昔からやってる声優って決して美男美女が集まってる訳ではないよな。
それも時代が変わってきたのだなと思う。
声優のアイドル化などどうでも良いがそのオタクが最近は凶暴化しすぎだと思う。
人に危害を加えないタイプのオタクなら良いのだけれどにわかを許さないオタクが声優のオタクには多い。
だから芸能人も声優については語りたくない人が多いのだと思う。
すぐ叩かれるしもううんざりしてるんじゃないかな。
声優がアイドル化した事で実力が上がっているのか落ちているのかは分からない。
まあその世界では売れた人が実力があるっていう認識になるのだろう。
事務所の力もあると思うが。。
名前は分からないが声優のTwitterに気持ち悪いリプを送ってた人は人間として何か大切なものを失っている。
それは匿名性がそういう人間を生んだのかもしれない。
そこで忘れてはいけないのは画面の向こうにいるのも同じ人間という事だ。
声優でもアイドルでも芸能人でも同じ人間なのだから誹謗 中傷されると傷つくだろうし脅されれば怖いに決まってる。
というか殺害予告は犯罪なのでそれは警察が取り締まれば良いと思うがネットといっても画面の向こうには同じ心をもった人がいるということを忘れてはいけない。
芸能人ならそういうのにも慣れているかもしれないがだからと言って無責任に傷つく事を言っていいわけではない。
それからにわかというのもそんなに叩かないで欲しい。
というかそもそも論だがにわかを叩く権利など誰にもあってはならない。
言っている事が間違っていたら普通に教えてあげるだけで良いはずだ。
それでキレるというのはあまりにも幼稚すぎるだろう。
良いオタクと悪いオタクがいるが悪いオタクというのは人の気持ちが考えられず人を傷つける事を匿名だからといって平気で言ってしまう人の事だ。
そういう人にはネットは自分と同じ人間が使っているという事を分かって欲しい。

サザエさん方式ではない漫画 アニメ


漫画 アニメはたいてい時間が進まないかループし続けるサザエさん方式というものが採用されている。
その中でサザエさん方式ではない漫画は何だろうと探してみたら2つあった。
それはナルトとメジャーだ。
短いストーリーならいくらでも時間が進む話はあるだろう。
長くて有名な漫画だと大体この2つに絞られると思う。
ナルトは ナルト サスケの2人が六道仙人の子供のアシュラとインドラの子孫というのはよく考えられているしカカシの万華鏡写輪眼も後のことまで考えていたのだなと感心している。
ただ不満というか何だかなと思うのは後半は力がインフレしすぎて忍者のバトルじゃないだろって時が多くなった。
それとナルトは落ちこぼれでどうしようもない奴のはずが凄い血統だったって事だ。
友情 努力 勝利 ではなくて才能 血統 一族の力みたいな感じ。
ナルトで学んだのは強いものはより強くなり弱いものはすぐ死ぬって事だった。
とにかく僕はナルト世代だった。
小学生の時はまだ疾風伝もやってなくて少年編だった。
その時は疾風伝なんかつまらなそうなんて思ってたけど10年も経つと明らかに疾風伝の方が長くなっていた。
ペイン編ぐらいまでしかアニメでは見てないがやっぱりあそこら辺がまだ人間が戦ってるって安心できた気がする。
まあ何だかんだいってナルトは面白かった。

メジャーも少年編 リトルリーグ時代の話は小学生の時よく見ていた。
考えてみれば茂野吾郎ってめちゃくちゃ複雑な家庭環境なんだよね。
家はかなり裕福だし自身もメジャーリーガーになって金持ってるだろうし結果的には良さそうではあるけど。
まずすぐに本当の母親は病気で死んでしまうし
本当の父親 おとさんもご存じデッドボールでしんでしまう。
ずっと一緒に住んでいるのは自分の保育園の先生と本当の父親の同僚が結婚して親父になってるんだからもう訳が分からない。
弟 妹は当然血が繋がっていないし 茂野吾郎の血が繋がっている親戚っておとさんの方の兄弟ぐらいしか出て来てない。
たぶん吾郎は右肩を壊してなかったらプロ野球選手にはなれなかっただろう。
ということはもしおとさんが生きていたらプロ野球選手にはなれてなかったかもしれない。
自分が1番好きなシーズンはやっぱり高校編だった。
大河が変わっていく様子とかも好きだったな。
メジャー2ndはもう時間が経ちすぎていて読む気にはならない。

趣味が人間観察ですとは絶対に言わない方が良い


趣味とは誰かに迷惑をかけない限り何をしても良いはずなのだがその趣味をバカにされたりすると気分は良くない。
そしてこの人間観察というのはほぼ100パーセントバカにされる。
何でバカにされるかというとみんなやってる事だからということかな。
みんながやってる事は趣味とは言わないという風潮があるみたいだ。
だけど趣味って何かに役立てたいからやるもんじゃないだろ。
人に迷惑かけてるわけでもないのに人間観察をしている人はつまらない人間です。とか言われちゃう。
人間観察とか妄想とかって趣味と言っても良いと思うんだよね。
自分が好きな世界を作り出す事が出来るのだから。
ゲーム 漫画 アニメも自分の理想の世界 もしくはその世界が気に入ってるから楽しんでるもので今時これらをバカにする奴はいないように思える。
もういわゆるオタクという人種が増えすぎてオタク キモいななんて言った日には殺されそうな勢いだからな。
だから人間観察が趣味でも何の問題もない。
大切なのはそれを人に言わない事。
人に言うと大抵反感を買うし人間観察する人ってその人自身はつまらない人間じゃない とか言われてしまう。
他人の趣味にケチをつける奴は1人では何にも決められないクソ野郎なのだが人間観察とか妄想に関してはそうとも言い切れない。
ケチをつけられる事が多すぎるからだ。
まあ言ってみればそれだけ他人に興味がある人が多いってこと。
まあSNSは他人が何をしているかを知るためのツールなわけだからそこで人間観察がつまらないと言われるのも分からなくはない。
実際 人間観察というのは楽しい。
外に出れば多くの人とすれ違う。
その人がどういう人なのか 仕事に追われてるのか 何か約束があって急いでいるのかもしれない。 どんな幼少期を過ごしたのだろうなどなど。
想像してみると世界が広がる。
これをやる時の注意点としてはその人をジロジロ見ない事。
不審者に見られる事だろう。
相手が女の人だったら下手をすれば痴漢呼ばわりされるかもしれない。
それだけは避けたい。
普通ずっと見られてたらやばい奴と思われるので監視するのはやめたほうがいい。
それだけ守れば誰に迷惑かけるわけでもないいい趣味だ。
あとはそれを人に言わない事それだけだ。

尾崎豊の卒業は最後まで聞いた方が良い


今思えば尾崎豊を好きになったきっかけはテレビで卒業を聞いたからだった。
それから尾崎豊の曲は全部聞いてみてこれが天才なのかって心の底から思った。
何だか今の若者には尾崎は共感できないらしいな。
今時バイクを盗んだり校舎の窓ガラスを割って回るのが良いと思ってる人なんかいない。
ただ尾崎豊の魅力って単純に歌が上手いって所だと思う。
これほど歌唱力がある歌手は中々いないんじゃないかな。
だから有名になってんだろうけど。
とりあえず校舎の窓ガラスばかり気に取られていてもしょうがない。
卒業は最後まで聞いてこそどんな曲だか分かるんじゃないかな。
あくまで歌詞はフィクションだから正直さそれって言わなくても分かるよねで通ってきたわけ。
それっていちいち説明しなきゃいけないのかな。
最後まで聞けば分かると思うけど卒業しても居場所がない。どこに向かうべきなのかっていうのを信じられぬ大人との闘いで見つけ出そうって歌なんだよね。
それがその学生の時の気持ちで尾崎自身それを表現したかったはずだ。
歌ってる時はもう大人になっていてそういう若い時もあっただろうって事だと思ってる。
あんまり言いすぎると尾崎信者みたいになっちゃうしそれも嫌なんだけどとりあえず窓ガラスは割っちゃいけないだろうっていう馬鹿正直な意見はもう聞く必要もないだろう。
覚せい剤をやったのはどう考えても悪かった。それは許されねえ。
犯罪者だ。だけど曲に罪はないだろう。そう思うこと自体尾崎豊という存在をカリスマとして神聖化してしまっているのかもしれない。

尾崎世代 要するに今のおっさん達からすると学生運動なんかも気持ちが分かるらしい。
昔の日本にはまだ熱というか抑えきれない力があって暴れていた人がいたみたいだ。
自分の理想を実現する為にはそうするしかなかったんだろう。
だけどそれは間違ってるといえる。
力で暴動を起こした所で何も変わりはしない。
卒業でも言っているけど支配から卒業したら自由だけどそこからどこに向かうべきなのか分からない人が大勢いる。
自由には責任がある。
自分の理想を実現するためとはいえ力による主張を繰り返していればただ捕まるだけである。
だから窓ガラスを割ってはいけない。
それは当たり前。 だけどそういう気持ちがあるって事も理解しなければならない。